ジャン=クロード・ビエットを見逃す

寝坊してしまい、「カイエ週間」の『サルティンバンク』(ジャン=クロード・ビエット)を見逃す。かなりショック。しかもTSUTAYAで借りた10本のビデオのうち、結局この一週間で見れたのはフライシャーの3本だけで、肩を落としつつ新宿まで返却に。無駄遣いであった。帰りに腹いせに、ちくま学芸文庫(最近、ますます単価高し)のバタイユの『宗教の理論』、『エロスの涙』、フロイトの『モーセと一神教』、ニーチェの『悦ばしき知識』に散財する。まったく池袋のジュンク堂書店の文庫コーナーは痒い所に手が届くようなナイスな展開をしている。だが何故かバタイユの『内的体験』とベンヤミンの『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』はなかった。
閑話休題。ジャン=クロード・ビエットは言うまでもなく、映画批評家出身のシネアストであるが、日本では彼の著作は一冊も翻訳されていない。「カイエ・ジャポン」にちょっとストローブ=ユイレとの鼎談が載っていたぐらいか。そういえばセルジュ・ダネーの批評集もいつになったら翻訳が出ることやら(もちろんドゥルーズの『シネマ』も)。そう考えると「翻訳大国」と言われている割には、こと映画批評の分野においては、日本は全くの後進国である。
ところでフランスにおいて、ヌーヴェル・ヴァーグ以降、批評家から映画作家に転身するというある種の伝統があり、しかもかなり優れた映画作家になる場合が多い(最近の例ではティエリー・ジュス)のに対し、日本ではそういう例が見当たらないのは何故か。小説家、音楽家など別の分野の人が映画を撮る例は枚挙に暇がないのに(ただしほとんど成功例がないというのも皮肉な話だ)。逆に日本では、大島渚吉田喜重ぐらいから始まった伝統だと思われるが、映画作家が同時に優れた映画批評を書く(「映画批評家」顔負けの)場合がかなりある。これは文化的現象としてかなり興味深い。ところで蓮實重彦はいつになったら『秘本・草枕』を撮るのか。