如雨露/春雨ワンダフル

a)『如雨露』(吉井亜矢子)
b)『春雨ワンダフル』(青山あゆみ)

a)二作品ともに映画美学校の「FirstCut2003-4」の作品。知らない人のために一応書いておくと、例年、この時期になると映画美学校初等科修了作品が、渋谷ユーロスペースで上映される。で『如雨露』なのだが、残念ながら上映後のイベントで映写された彼女のビデオ課題(プレゼン用の三分間の作品)の方が面白かった。それはシナリオ上は全く同じシーンを撮ったもののはずなのだが、ヒロインの首から何故か花が生えてきて、それをやはり同じ体質の女友達が口にくわえる(このあたりが妙にエロティック)と「受粉」してしまうというシーンなのだが、完成されたフィルムでは、メシベのようなものに粉が降り掛かるチープな特撮で表現されていたものが、ビデオ版では単にその瞬間、水道の蛇口から水滴がぽたぽた落ちるインサート・ショットで表現されていてハッとさせられる。上映後のトークショーでは高橋洋氏はそのカットについて「ある時間の流れみたいなものが感じられる」と言っていて、それは確かにその通りなのだが、このカットが性的な連想に誘うこともまた事実で、この換喩的であるとともに隠喩的でもあるカットを撮れてしまうセンスというのはなかなかのものなのではないか。完成された作品について言えば、CGとかSFXとかいらなかったんではないだろうか。美術とかも妙に気張り過ぎのような気もする。
b)ヒロインの女の子がよい。子役もよかった。前半、室内空間の撮影・照明があまりにもずさんでどうなることかと思ったが、後半は上達の後が窺えた。動物しりとりをしていて女の子が答えにつまり、青空のカットを挿んで、その続きを十年ぐらい経過した後の彼女が引き継ぐ時間処理も悪くない。あとヒロインが鈴木卓爾と最初にセックスするところで、彼女がふと部屋の入口の方を見やると少女時代の彼女がふすまを開いて、彼女の内心を代弁するかのようにいやがるカットが挿入されるところも悪くない。またこのシーンでの彼女は無表情で天井を見つめ男のなすがままになっているのだが、このヒロインのあり方に大和屋竺的な「人形」の主題のようなものを感じ、ラストカットのロボットのおもちゃがイメージの上でそれと通底している気がしたのだが、トークショーの発言を聞くとどうもそういうことでもないようだ。メインの役者に関してはキチンと演出しているのか、それとも単に役者がうまいだけなのか、安心して見れるのだが、それ以外の役者の芝居には全く監督の目が行き届いていないような気がした。