恋/孤独な場所で

a)『恋』(ジョセフ・ロージー
b)『孤独な場所で』(ニコラス・レイ

a)本日は誕生日なり。一人寂しく新文芸坐へ(とほほ)。物語の中でジュリー・クリスティが少年に尋ねる。あなたの誕生日はいつ。少年は答える。「今月の27日です」。こういう偶然って楽しい。映画を見ているとよくこういう偶然、すなわち現実が映画を模倣するかのようなことがよく起きる。そんな時、自分と映画の間の絆を感じたりもする。
さてこの映画、かなり昔に買った中古ビデオを持っているのだが、何故かこの作品はシネスコ・サイズだとばかり思い込んでいて、スタンダード・サイズで収録されているビデオを見る気がせず、これまで見ないでいた。ところが上映が始まってびっくり。そもそもスタンダードだったのだ。しかし上映されたプリントの状態が素晴らしく、しかも私見では都内でもベスト3に入る上映ホールでの鑑賞だったので、損をした気分にはならなかった。
見る前は、「少年が年上の女性に淡い恋心を抱くが、その恋は叶うはずもなく、ちょっぴりほろ苦い経験をして大人へのステップをさらに一歩上にのぼる」というような話だというイメージを持っていて、実際、大筋ではその通りなのだが、ロージーとハロルド・ピンターがそういう映画をつくるはずもなく、上流階級の清楚な女の外見の下に、下男の男との性愛に狂った下品な娼婦を隠しているジュリー・クリスティの変貌ぶりが凄まじい。そして彼女のクローズアップはことごとく醜い。最後には「呪い」をめぐる物語としての本質を露にして、作品は唐突に終わる。
b)グロリア・グレアムは本当にいい女だ。彼女みたいな奥さんを貰ったら、この作品のボガートでなくても真面目に働こうと思うのは理の当然である(そういえば彼女、ニコラス・レイの別れた奥さんだった)。この映画は今まで何度となく見ているが、今回も途中から登場人物たちの圧倒的な情動に引き込まれていってしまった。レイの映画の人物たちはいつでも苛烈である。彼らは自分の背丈に収まらない内的なエネルギーを抱え込んでいて、それによって悩み苦しんでいる。その姿が痛々しい。そしてレイ自身もそのような人間だったのだろう。『Bigger than Life』というレイの映画のタイトルほど、彼らを形容するに似つかわしい言葉はない。真の傑作とはこのようなものだ。そして二本立てで見ると、ある時期、映画は本当に一度死にかけたのだなということがよく分かる。その点では70年代のロージーは少し歩が悪い。レイの未見の映画、『危険な場所で』や『苦い勝利』はいつになったら見れるのか。
折しも、シネマテーク・フランセーズで二月いっぱいロージーの回顧上映が開催されるようだ。『エヴァの匂い』以前の彼の作品で、この国で見れるのはわずか数本である。見たい。今すぐにでもパリに飛んで行きたい。でも金がない。


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