デュラスまつり

a)『セザレ』(マルグリット・デュラス
b)『陰画の手』(マルグリット・デュラス
c)『オーレリア・シュタイネル(メルボルン)』(マルグリット・デュラス
d)『オーレリア・シュタイネル(ヴァンクーヴァー)』(マルグリット・デュラス

a)〜d)これらの作品は双子の映画、より正確に言えば二組の双子のようなものなのでまとめて述べることにする。最近、翻訳が出た『デュラス、映画を語る』によれば、『セザレ』と『陰画の手』はともに『船舶ナイト号』(これも素晴らしい)の「採用されなかったフィルム」で作られたそうだ(これはおそらく「撮影されたが本編に使われなかったショット」という意味だろう)。とはいえそんなことを感じさせない位、圧倒的な強度に満ちた画面である。『セザレ』は昼から夕暮れにかけての日射しのなかでパリ市内の庭園にある彫像の固定画面と移動撮影とヒエログリフのショットを組合せ、美しく時に情熱的な弦楽曲とデュラス自身による朗読を重ねたもの。『陰画の手』は夜から朝に移り変わる時の青い薄やみにつつまれたパリの街路を移動する車のなかからのショット(多くは前進移動なのだが、時おり横移動の画面になったりする)にデュラスの朗読が被さる。『オーレリア・シュタイネル』二部作は、「ヴァンクーヴァー」編が美しいモノクロームで撮影されていて、最初、海岸の岩や波などを捉えた固定画面が続き、キャメラが屋内の無人の廊下を捉えた後、柔らかい日射しが落ちる寝室のショットが現れ、そこに「オーレリア・シュタイネル」の一語が呟かれると、材木置き場の長い長い横移動の画面に繋げられるところは何度見ても身震いがする。「メルボルン」編はセーヌ河に浮かぶ船からのいくつかの移動撮影から構成されているが、そこでの水の横溢と光のきらめきが見るものの目に存在感をもって迫ってくる。
いずれの映画もデュラスの朗読とほぼ無人の風景ショットからなるのだが、デュラス自身の声の肌理が何とも素晴らしく、それがこれらの映画の魅力の重要な部分を占めている。いわゆる美声の持ち主というのとは違って、彼女の声は低くややしわがれていて、短いセンテンスをゆっくりと時に早口に、一語一語明瞭に発音していく。彼女の声が本当に素晴らしく、いつまでも聞いていたいとさえ思う。ゴダールの押しつぶされたカエルのような声やオーソン・ウェルズのちょっと気取った豊かな低音の利いた声も好きなのだが、彼女の声の存在感というのは本当に圧倒的で、例えば延々と黒画面が続く『大西洋の男』のような作品でも彼女の声の魅力のために飽きることがない。彼女が朗読する映画を見ていると、「叫ぶ(crier)」という言葉が、内に孕んだ情動を押し殺したような声で囁かれるのを、よく耳にする。だが彼女の映画に出てくる登場人物たちは皆一様に落ち着いていて、感情を露にしたりはしない。唯一、例外なのが『インディア・ソング』で画面外の声として聞かれる「女乞食」と「ラホールの副領事」の叫びなのだが、彼らはともに共同体の「アウトサイド」に出ていってしまったものたちである。そしてこの「叫ぶ」は語感的に近いもう一つの言葉、「書く(écrire)」に通じている。それは、彼女にあってはともに内なる過剰(狂気と言い換えてもいい)を表出する二つの手段なのではないか。どうもこれら四作品に通じるただならぬ気配は、デュラスという一つの身体=声を通して、この二つの運動が融合してしまっていることから生じているように思えてならない。


デュラス、映画を語る

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