窄き路

a)『窄き路』(ランバート・ヒルヤー)

a) ウィリアム・S・ハート主演のサイレントの西部劇。食事をした後、すぐに見たので、三十分を過ぎた辺りから睡魔が襲い、それと闘いながら見たので、全編に関してはコメントできない。しかしだからといってこの作品がつまらないかというとそんなことは断じてない。
ウィリアム・S・ハートは現代日本において過小評価されている映画人の一人で、かの淀川・蓮實・山田氏らの鼎談においても、あまり肯定的な評価のされかたはしていない。なおこの書物、『映画となると話はどこからでも始まる』は同じ著者たちの『映画千夜一夜』にくらべて現在では入手困難のようなので、少し長くなるが該当箇所を引用してみたい(pp130-131)。

山田 ウィリアム・S・ハートの西部劇はいつ頃になるわけですか。
淀川 それはハリー・ケリーの「シャイアン・ハリー」と相前後してあったんですよ。ところがウィリアム・S・ハートは舞台劇出身者だけに、西部劇とはいっても、気取って気取って、愛と涙の映画が多くて、濡れ衣を着せられて、よよと泣き崩れて、全部の罪を引き受けて去っていくとか、そういうのが多かったんで、ぼくらはどっちかいうたらハリー・ケリーのほうが好きでしたね。ウィリアム・S・ハートの場合は、たとえば田舎から気弱な男が開拓にきて、うまくいかなくて、S・ハートが助けてやる。すると悪党がS・ハートと決斗。悪党がS・ハートの拳銃の弾を抜いとったのがわかる。そんな卑怯なことする男を最後には殺しちゃうのよね。ところが、そんな卑怯な男でも親が尋ねてきて、「息子、どうしたんですか、死んだんですか」と言われた時は、つい、息子さんは病気で死んだんですよと言っちゃうの。その男の許嫁も来てがっかりするんだけど、あとでウィリアム・S・ハートが殺したんだということがわかって、その男の家族みんなが仕返しのために狙うところがあるの。で、自分は人殺しじゃないんだけど、殺したことにしたほうがその息子にはいいんだ思って、罪を着て去って行くといったような、そんな役が多いの。ねっとりしてるんですよ(笑)。
蓮實 インテリ向きだったんですね。
山田 ぼくは「曠原の志士」というウィリアム・S・ハートの最後の作品を一本観ただけなんですが、アクションというのがあまりないんですね。ラストの“ランド・ラッシュ”くらいで。ウィリアム・S・ハート自身は、たしかに、苦悩ばかりしていますね。
淀川 アクションよりも、どちらかいうたら舞台劇的なんですよ。だから東京ではウィリアム・S・ハートさまさま、ぼくらは神戸だから、ハリー・ケリーさまさまだったの(笑)。

といった感じなのだが、この引用箇所を読んでウィリアム・S・ハートの映画が観たくなる人は果たして何人いるだろうか。大抵の人はこの御三方がこうまで言っているのだから、見なくてもいいと思うに違いない。私も長らくそうであった。
ちなみに淀川さんがここで語っている映画は『鬼火ロウドン』(ウィリアム・S・ハート)だろう。この映画が製作されたのが1918年、この書物が出版されたのが1985年。最近この映画を観たがほぼ淀川さんが語っている通りで(「その男の家族みんなが仕返しのために狙う」というところだけが違い、実際はその男の弟がS・ハートを狙う)、氏の驚異的な記憶力に感嘆させられる。しかしこの『鬼火ロウドン』、死んだ悪党の母親というのが実に善良な人物で、無骨なS・ハートがぎこちなく彼女をもてなそうとするところなどは、グリフィスの映画における最良の叙情に通じるところがあって泣ける。
また『曠原の志士』(ウィリアム・S・ハート)は『シマロン』(アンソニー・マン)でも描かれていた西部開拓史上の一挿話を描いていて、「ランド・ラッシュ」というのは、地平線の果てまで一列に並んだ開拓民の馬車が「ヨーイ、ドン」の合図で一斉に砂煙を巻き上げて疾走し、早い者勝ちで好きな場所を自分の土地にできるというもの。
この二作品とも大好きなのだが、何といっても素晴らしいというか、ほとんど戦慄するほどの傑作に『地獄の迎火』(ウィリアム・S・ハート)というのがある。この作品によってウィリアム・S・ハート作品の魅力に開眼させられ、以来、彼の映画が上映される時には必ず観に行くことにしている。この『地獄の迎火』、イーストウッドの映画が好きな人なら絶対気に入るだろう。ラスト、街全体が炎につつまれ、黒煙が渦を巻くなかを怒りに燃えたウィリアム・S・ハートが歩いて行く様は、破壊の天使(この言葉で思い浮かべているのは、パウル・クレーの絵に寄せてベンヤミンが語っているようなものなのだが)が地上を浄化しようととしているかのような美しいシーンだ。なお、今挙げた三本はいずれも彼自身が監督・主演したものである。映画作家としてのウィリアム・S・ハートはかなりのものだし、再評価されるべきだ。
で『窄き路』に話を戻すが、冒頭、山からウィリアム・S・ハートとその手下たちが馬で駆け降りてくるところをロングの逆光で捉えたショットなどは実に美しい。そしてウィリアム・S・ハートは誰よりも早く空間を走り抜ける。