血/あなたの微笑みはどこに隠れたの?

hj3s-kzu2004-03-11

a)『血』(ペドロ・コスタ
b)『映画作家ストローブ=ユイレ/あなたの微笑みはどこに隠れたの?』(ペドロ・コスタ
a)ぬかるみを歩く靴音と遠くからくぐもった感じの雷鳴が聞こえる。その時、私たちが見つめているのは黒画面である。突然、若い男の真正面からのバストショットがスクリーンに映し出される。男の背後にはどんよりと曇った空と見渡す限り何もない平原が広がっており、彼はそこの一本道の中央に立っていて、どうやら画面のこちら側にいるもう一人の男と会話をしているらしい。二人の間には不穏な空気が漂っている。すると急に画面の右端から手が伸びてきて、私たちに驚くひまも与えず、すかさず若い男の左の頬を平手打ちする。
冒頭に据えられたこのショット(処女作のファーストショットをこのようなイメージで始めた映画作家がいままでいただろうか)のように、この作品は「唐突さ」がフィルムの表層を走り抜け、画面を活気づける。例えばこの若い男(ペドロ・エストネス)が働いている怪しげな音楽テープ販売業者の倉庫で、画面外からいきなり彼の胸元に投げ出されるダンボール箱。あるいは恋人のイネス・デ・メデイロスとともに深夜の墓地に運び込む寝袋に包まれた父親の死体。これらは物語が状況を説明する以前に物そのものとして画面にその存在感とともに投げ出され、私たちがそれが意味するものを理解するのは決まってしばらく経ってからに過ぎない。『血』から『ヴァンダの部屋』に到る作品系列の中で彼のフィルムを特徴づける編集法はすでにこのデビュー作において確立している(ストローブ=ユイレについてのドキュメンタリーはやや編集法が異なり、いわば禁欲的とも言えるものになっているが、それでも数カット挿まれるおそらくはル・フレノワの学生たちの作業風景だと思われるショットにしても、それについては最後まで言及されることはない)。
この作品ではマルティン・シェーファーが撮影を担当しているが、だからと言って『さすらい』(ヴィム・ヴェンダース)で見られたような自然光を活かした画面づくりがなされているわけではなく、コントラストの強いモノクロームの画面はむしろ古典的な撮影所スタイルの画面づくりに近い(冒頭のショットを観た時に、まるでロシア映画みたいじゃないかと思った)。また『マノエル・デ・オリヴェイラと現代ポルトガル映画』(名著!)所収のインタビューで映画作家自身が語っているように、この作品はまた彼の「シネフィル」的側面が濃厚にでている映画でもある。夜の川から見知らぬ男の死体がボートに引き上げられるシーンでは『サンライズ』(F.W.ムルナウ)や『狩人の夜』(チャールズ・ロートン)が思い起こされるだろうし、水族館でのシーンでは『上海から来た女』(オーソン・ウェルズ)が想起されるだろう。またラストのボートの上の少年を捉えたショットをこれはまるで『タブウ』(F.W.ムルナウ)のようではないかと思っても不思議はないし、横溢する水が無気味な存在感とともに視界に迫ってくる川のほとりでのシーンから『ピクニック』(ジャン・ルノワール)を連想する人もいるだろう。その他、様々な映画的な記憶がこの作家の無意識を操作している。おそらくそのためだろう、この作品の後、ペドロ・コスタは正統的かつ過剰な映画的無意識を断ち切って裸で映画と向き合うためにカーボヴェルデ島まで行き、『溶岩の家』を撮らなくてはならなかったのだ。そして彼がそこでおそらくは驚きとともに再発見するのはロベルト・ロッセリーニという固有名である。


マノエル・デ・オリヴェイラと現代ポルトガル映画

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(追記)後日、このタイトルの「血」が何を意味するのかに思い到った。それはつまり、ファミリーロマンスであるとともに映画史的な血縁証明である。

b)この作品については2/12/6の日記を参照のこと。
今日見直して気になったのは日本語字幕のことで、ラスト近く、ストローブがユイレと初めて出会った頃のことを語っているシーンで、彼のリセのクラスメイトが、ストローブはユイレの言わんとしていることを「知らなければならない」と思っていた、と確か翻訳されていたのだが、これは「知っているにちがいない」の誤りではないだろうか。英語字幕では「he must understand」となっていたので、おそらく「must」の意味を取り違えたのだと思われる。そうでないと話の筋が通らなくなる(彼が「知っているにちがいない」から、ユイレの発言についてクラスメイトは彼に尋ねたのだ)。

なお上映前にコスタ監督の舞台挨拶があり、一昨日、シネマテーク・フランセーズでストローブ=ユイレに会ったばかりだという彼は、夫妻からのメッセージとして「日本は私たちが理解できる唯一の国だ」という言葉を伝え、彼自身のメッセージとして「あなた方の隠された微笑みを探し続けることを忘れないで下さい」と語った。なお「LES STRAUB A LA CINEMATHEQUE !!」と題された告知によれば、コスタがストローブ夫妻に会ったイベントというのは『放蕩息子の帰還』のセカンド・ヴァージョンのプレミア上映(同時上映『セザンヌ』)で、3/15には『ルーヴルへの訪問/映画とその分身(Une visite au Louvre, Le film et son double)』と題された彼らの最新作(!)のプレミア上映があるようだ。そういえばアテネの事務所のドアにこの映画のポスターが貼ってあって「あれっ?」と思ったのだが、そういうことだったのね。観てー。
なお以前紹介したストローブ=ユイレのインタビューにこの最新作のことがちょっと触れられている。


ペドロ・コスタ監督特集2004 in Tokyo(いよいよ3/13まで!)
http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/2004_03/pedro.html