見ることの地獄

a)『自分自身の眼で見る行為』『Eye』(スタン・ブラッケージ
b)『The Machine of Eden』『Star Garden』『Made Manifest』『Boulder Blues And Pearls And...』(スタン・ブラッケージ
a) 見ることが何か耐え難いものであるような映画、それが『自分自身の眼で見る行為』である。この作品はサイレントなのだが、画面からは骨や肉の軋む音、阿鼻叫喚が聞こえてくる。もしこの映画が同時録音で撮られていたとしたら…と考えるだに恐ろしい。ほとんどホラー映画である。いやそれ以上かも知れない。トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』(大好きだが)どころの話ではない。
フレデリック・ワイズマンの『病院』や『霊長類』を観た時、数分前まで人や猿の形をしていた物体が、次のシーンでは肉片にスライスされ、あるいは鋏で首をちょんぎられる映像を目にして衝撃を受けたものだが、それらのショットを耐えることができたのはモノクロームの画面によって抽象化されていたからに他ならない。ところが『自分自身の眼で見る行為』において、死体解剖はカラーで撮られている。
うなりをあげて頭蓋骨を切り開く電動ノコ。切開され脳を取り出された後の空洞を見せている皮膚のめくれた頭部。心臓を抜かれた肋骨の間の血溜まり。黒人女性の胸をメスによってY字型に切り裂くと現れる美しいクリーム色をした皮下脂肪。解剖を経て、内部を外気にさらしたままの血みどろの死体は再びその裂け目を縫合されることもなく鮮やかな白布に覆われて、部屋の外に運び出されていく。そして解剖医の定規やメスを握る手のひらとそれが扱う死体の一部が執拗に映し出される。あたかもそれは生者と死者を区別するものはせわしなく動く手のひらであるかのように。
ラストショット、一仕事を終えた解剖医が電話口に向って何かを話している。しかしその声が私たちに届くことはない。
b)『The Machine of Eden』は速度についての美しい映画である。すなわち、雲、月、大地、木々、光の速度についての。ここで私たちが見ることになるのは加速化された天動説とも言うべきものだ。私たちは素早くズームを繰り返す雲を見ているのではなく、雲が私たちに素早く近付いたり離れたりするのを見る。私たちは低速度撮影された月を見るのではなく、月が高速で位置を変えるのを見る。そして車窓から見た大地ではなく、大地が物凄いスピードで走っていくのを見る。ブラッケージのキャメラはこれらの事物が持つ潜在的な速度を目に見えるものとして提示してくれる。であるがゆえに彼が家族とともに雪の舞う冬枯れの風景を緩慢に遠ざかっていく後ろ姿はあまりにも美しい。

ブラッケージ・アイズ2003-2004 in Tokyo(3/27まで)
http://www.brakhage-eyes.com/program.html