最後の晩餐/素晴しい哉人生/ローナ・ドゥーン

hj3s-kzu2004-04-17

a)『最後の晩餐』(トマス・グティエレス・アレア
b)『素晴しい哉人生』(D.W.グリフィス)
c)『ローナ・ドゥーン』(モーリス・トゥールヌール)
a) トマス・グティエレス・アレアは知られざる巨匠である。「知られざる」という形容詞がついてしまうことが、彼の不幸なのだが、これはおそらく現在、日本で普通に見れる彼の唯一の作品が『苺とチョコレート』で、その版元がアップリンクであり、ビデオショップの棚のかなり隅っこに追いやられていることと無縁ではあるまい。日本で見られるキューバ映画の絶対量というのはたかが知れており、そのためビデオショップの棚で例えば「キューバ」というコーナーを作るには出ている本数があまりにも少なすぎる。そこで彼の作品は「その他」やら「ゲイ」やら「カルト」やらのコーナーに陳列され、よほどの目利きでない限り、その存在を知られることなく終わってしまうのだ。
さて恥ずかしながら今回のフィルムセンターのキューバ特集があるまで私は彼の存在を知らなかった。そして何の予備知識もなく『レボルシオン 革命の物語』を見終わった後、明るくなった会場を見渡すと知人の信頼に足る映画狂たちが興奮に目を輝かせながら、口々に「凄い」と叫び、その日から自分にとってトマス・グティエレス・アレアという名前は忘れることのできないものとなったのだ。
そして実際に起きた黒人奴隷の暴動を元にしたこの作品も期待に違わぬ傑作であった。固定画面とパンを基調とした画面づくりをしていた前作と異なり、この作品では全編手持ちキャメラが使われているのだが、そのフレーミングおよび演出は極めて厳密である。プランテーションを経営する貴族が、逃亡奴隷の耳が番犬に噛みちぎられるのを見て、自分達のしていることのおぞましさを垣間見る。そこで何を思ったのか、彼は12人の奴隷を選んで、彼らに洗礼を受けさせ、晩餐の席に招く。このシーンがこの映画のクライマックスを構成するのだが、奴隷の中に人喰い人種が一人混じっていて、大口を開けて肉に食らいつきながら、主人にニヤリとするところとか、奴隷の一人に何が欲しいと尋ねると「自由」と真顔で答えが返ってくるところなど、至る所で爆笑させられる。「偉大な映画作家は偉大な喜劇作家である」という蓮實重彦のテーゼはやはりここでも有効である。もちろん館の主人は偽善者であり、自らが望んだはずの結果に恐れをなし、最後には反動がやってくる。

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b) グリフィスといえばリリアン・ギッシュというのが世間の相場だが、後期グリフィス作品を支えたキャロル・デンプスターもそれに劣らず魅力的である。彼女がW.C.フィールズと共演した『曲馬団のサリー』など涙なしでは見れないし、グリフィスが撮った最も美しい映画の一つだとさえ思う。去年のフィルムセンターのグリフィス特集で初めてこれらの作品と接した時、その修復された上映プリントの見事さもさることながら、彼女の一挙一動に胸を締め付けられながら画面に釘付けになったものだ。彼女はジュリア・ロバーツをもう少し柔らかくしたような美女なのだが、こうした題材のものを演じさせたら右に出るものはいないのではないか。第一次大戦後のドイツ。人々は日々の糧に事欠いている。彼女は病床の婚約者のために自分の食べ物も内緒で彼の分に充てているのだが、そのため頬がだんだんと痩けてくる。鏡に映る自分の顔を見ながら彼女がそれを恋人に悟られまいとして、綿を口の中に詰め込む場面のいじらしさといったら!あるいはせっかく自分たちで作ったジャガイモを荷台いっぱいに詰め込んで木漏れ日の中、森の小道を運んでいるところを、飢えのために暴徒と化した労働者たちに強奪された無念に打ちひしがれる恋人を励ます場面の美しさといったら!彼らと共に何があろうと人生は素晴らしいのだと、スピノザドゥルーズ的に世界を肯定したくなる。ただしそのことと現在、合衆国が世界に対して行っている暴挙を肯定することとは全く別のことである。

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c) 浜辺を駆け抜ける馬車を大ロングで逆光ぎみに捉えた画面がとても美しかった。馬車と海の不意の遭遇。この作品で素晴らしいと思ったのは、冒頭近くにあるこのシーンのみである。あとは睡魔に勝てなかったので、覚えていない。