俗悪さについて

a)『トスカ』(ブノワ・ジャコー
b)『悪魔の植物人間』(ジャック・カーディフ)
a) ブノワ・ジャコーは駄目になってしまったのだろうか。マルグリット・デュラスの助監督であったこの映画作家は、彼女の死(1996年)を囲むようにして撮られた二本の傑作『シングル・ガール』(1995年)、『第七天国』(1997年)以降、それまでの才気を失ってしまったかのように思われる。あるいはこうも言える。彼はストローブ=ユイレの『モーゼとアロン』や『今日から明日へ』を見ていないのだろうか。これらの傑作の後では、『トスカ』のような作品は作る前から、それらによって批評され無効化されている。実際、このプッチーニのオペラをもとにした映画では全てが中途半端である。前半の黒白画面の録音風景のドキュメンタリー部分と、舞台を再現したセット撮影を交互にモンタージュする編集は意味不明だし、それがあからさまに口パクであることを告げているので、こちらとしても真面目に見る=聴く気も失せるし、トスカの恋人を演じるロベルト・アラーニャの顔は到底、アップに耐えうるものではない。おそらく舞台の感じを出すためかもしれないやや露出オーバー気味の前半の撮影もとても効果を上げているとは思えない。安易な演出、撮影、編集の見本のような作品。最後にクレジットを見てさもありなんと思った。製作はダニエル・トスカン・デュ・プランティエ。彼についてはストローブが次のように述べている。《ジーバーベルクは『パルジファル』を録音しようと思いトスカン・デュ・プランティエに会い、こう言われる「モンテカルロでのすばらしい録音があるからそれを使おう」。さあ!映画ができた、というわけさ。でも出だしの時点でその作品は破産している。》


トスカ


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b) ジャック・カーディフには一度だけ会ったことがある。スタッフで参加した『よろこび』(松村浩行)という作品がエクス・アン・プロヴァンスの短編映画祭に招待された時に、私も監督と同行したのだが、映画祭のゲストでカーディフが夫人とともに来ていたのだ。地方のアットホームな感じの小さな映画祭だったので、一日が終わると映画祭スタッフやゲストが近所の飲み屋に集まって、深夜まで映画談義を繰り広げた。こちらも拙い英語とフランス語のチャンポンで会話に参加したのだが、皆が「ジャック」と呼ぶその老人が実はジャック・カーディフだと知るや興奮を押さえられなかった。どうも興奮しているのが私一人で、そばにいた同世代のヨーロッパ人の若者たちは彼がいかに偉大な人物なのか認識していないようなので、叱りつけてやろうかと思ったが、それは自制し、パウエル&プレスバーガーヒッチコックマンキーヴィッツ、ヒューストン、フライシャーなどの名前をあげ説明を試みたのだが、どれも見ていないようで反応が鈍かった。この偉大な撮影監督に向って、こちらは固有名を列挙して「あなたは素晴らしい」としか貧弱な語学力では伝えられなかったのだが、彼はニコニコ頷いて、お前さん若いのによくそんなこと知っているなと驚きながら、当時のことを語ってくれたのだった。今から4年ほど前のことだ。
さて、ついつい思い出話が長くなってしまったが、撮影監督から監督に転身した彼はこのようなC級映画を撮っていた。この映画もフリークスがたくさん出てくるまことに俗悪な代物なのだが、それを扱う手つきはどこか気品が漂っていて、そこらのエログロ映画とは一線を画す。タイトルバックの低速度撮影によって捉えられた植物たちが生成していく様はとても異様で美しい。「トカゲ女」もかなり衝撃的。