桜の代紋

a)『桜の代紋』(三隅研次
a)以前、ビデオで見た時は、画面がスタンダードにトリミングされていて、それほどピンとこなかったのだが、今回、改めてシネスコで見たら、実に素晴らしかった(上映プリントもきれいだった)。最初の方で武器の密輸がバレそうになった石橋蓮司が警官を殺し、その屍体のカットに続いて、警察署内での会議のカットになるのだが、左隅に黒板で説明する課長、それをみつめる刑事たちがずらりと机に並んでそれを聴いている(そして若山富三郎はほぼ画面中央に位置している)という光景を真横から撮った構図を見て、「あっ!シネスコ!」と叫びそうになった。フリッツ・ラングが皮肉まじりに言ったように「葬式の行列と蛇を撮るのに適している」はずのこの横長のサイズで見事な画面づくりがなされている。冒頭で歩道橋をサングラスをかけて歩く若山富三郎と小林昭二の刑事らはどう見てもヤクザだが、ラーメンを啜りつつ相棒に「なあ兄弟」と小林昭二が呼び掛けるにいたって、一層その印象を深くする。そしてその確信が間違っていないことはラスト近くに明らかになる。警察と軍隊は国家における最大の暴力装置であり、であるがゆえに、この映画における警察組織と暴力団との死闘は、二つの暴力組織の潰しあいに見えてしまうのだ。それを端的に示すのが、チンピラたちに「どこの組のものだ」と囲まれた若山たちが「桜組のもんじゃい」(もちろん「桜」とはタイトルに示されているように警察のシンボルである)と言って、逆に彼らを脅すシーンや、外景を反映する警察署の桜のエンブレムのアップのファーストショットと後半の暴力団事務所内で室内を反映する時計盤のアップ・ショットとの相似性である。そしてこの作品におけるテーゼが間違っていないことは、実際に連日報道される警察の不祥事を見れば明らかだろう。もちろんあらゆる暴力組織は肯定されるべきではない。