トークショー二本立て

hj3s-kzu2004-06-26

a)『鉄砲玉の美学』(中島貞夫
b)『四月』(オタール・イオセリアーニ
a) 上映前に中島貞夫監督と山根貞男氏によるトークショーがあり、さらに脚本家の野上龍雄氏がそれに加わった。中島監督は東京大学の美学出身で、東映に入った当時、彼が撮りたいと思っていたのは、「女性映画」だったという。そんな彼が何故、デビュー作に『くノ一忍法』を選んだのかというと、東映の上層部をおちょくってみたかったからだという。こんな企画絶対に通らないだろうと思って提出したのだが、予想に反して、上層部がぜひ撮れと言ってきた。これは困ったと土下座をしてそれだけは勘弁してくれと頼んだのだが許されず、仕方がないので大学時代の友人で「ギリシャ悲劇研究会」の仲間だった倉本聰を呼んで二人で脚本を仕上げた。さて中島貞夫の撮った映画のジャンルは多岐に渡っている。これほど多種多様な作品を作った映画作家も珍しいだろう。山根貞男氏によれば「ゴッタ煮」の作家である。その訳は同じようなものを撮り続けるのに飽きてしまうからだという。だからシリーズ物は苦手である。しかしジャンルがいろいろあっても、主題は一貫している。「低いところからものを見る」ということだ。どんな世界を描いても、そこには現状の社会に満足していない若者たちがいる。『鉄砲玉の美学』の渡瀬恒彦のように。ところでこの作品、なぜ東映を離れてATGで撮ったのかというと、自分の作品に自分で選んだタイトルを付けて見たかったからだという。プログラム・ピクチャーでは大抵、会社が勝手にタイトルを決めてしまい、中には『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』のような物凄いものもある。そしてこの作品の「美学」とは実は「反=美学」である(「鉄砲玉」の渡瀬恒彦はやくざの抗争とは無縁のつまらない発砲事件で命を落としてしまう)。いわゆる東映仁侠映画的な「美学」というのは自分にはそぐわない、と中島監督は語る。また予算について言うと、金のかかっていないもののほうが自分のやりたいことがやれる。金が沢山かかっているものは、それだけ口を出す人も増えるからだ。例えば『日本暗殺秘録』も初めは低予算のドキュメンタリー・タッチで考えていたのだが、結局、オールスター大作になってしまい、あまり満足のいくものにはならなかった。さらに言えば、穴埋め企画のようなものならなお良い。スケジュール的に余裕がないから、会社の上層部も企画をチェックすることなく、普段通らないような企画でもクランクインすることができる。あるいは上層部に叱られたような作品が逆にヒットしてしまい、助かったこともある。最後に山根氏からあるエピソードが紹介された。京都映画祭で『長恨』(伊藤大輔)の現存する十分ほどの断片が上映された折、それを見た中島監督は興奮して自分のやりたかったものはこれだと叫んだそうだ(「これやこれやで!」)。それを聞いて目頭が熱くなったのは私だけではあるまい。

遊撃の美学―映画監督中島貞夫

b) 上映前に蓮實重彦氏によるトークショーがあった。イオセリアーニはいまや国際映画祭の寵児で新作を出品すると決まって何か受賞してしまう。またグルジア人なのに何故かテキーラが大好きである。そんな彼の人となりを示すエピソードをまず二つ。『そして光ありき』をアフリカで撮影し、ある映画祭に出品したイオセリアーニに、あるアフリカ人監督(黒人)が「おれの国で撮影したのに、おまえさん一度も挨拶に来なかったじゃないか」と言うと、彼は「すまんアフリカの夜はあんまり暗いんで、おまえさんたちの肌の色と見分けがつかなかったんだよ」と答えたという。これはユーモアと呼ぶにはおさまりがつかない。ロッテルダム映画祭のディレクターがある時、目の上に大きな痣を付けていたという。どうやらイオセリアーニに殴られたらしい。自分を招待した主催者を殴るとは凄い人だ。これらのエピソードをグルジア的と納得していいのだろうか。ところで彼は1930年代生まれである。早くに亡くなったフランソワ・トリュフォーを例外とすると、1930年生まれのゴダールを筆頭として、1960年代頃に映画を撮りはじめたこの世代の連中が現代映画を今なおリードしている。イオセリアーニもその一人である。さてこのトークショーにくる直前まで蓮實氏は海外の雑誌に載せるジョン・フォード論(もちろん外国語)を執筆していたという。そこでジョン・フォードからイオセリアーニにすぐ頭が切り替わるか心配だったという。ただそのおかげでフォードとイオセリアーニを比べると共通点が見えてくる。両者ともセリフが少ない。フォードはシナリオのセリフを無駄だと思ったらどんどん削っていく映画作家で、『フォーエヴァー・モーツァルト』(ゴダール)で引用されていたように、時にはシナリオを数ページ破ってしまい、そこは省略という場合すらある。日本でいうと成瀬巳喜男がこのタイプで、彼の映画ではもとのシナリオの三分の一くらいにまでセリフが切り詰められる。会話が重要な役割を果すエリック・ロメールのような作品を例外とすると、大体、映画ではセリフが多すぎる(特に日本ではそうである)。ではセリフを切り詰めることで何が際立つか。それは動作(motion)である。映画とは言うまでもなくmotion-pictureなのだから、運動を画面に導入することは大事である。イオセリアーニ自身の言によれば、彼が映画に固執するのも、「映画には無声映画時代があったが、テレビにはそうしたものはなかった」からである。そしてサイレント期から映画を撮っている映画作家ならこのことはすんなりできるのだが、イオセリアーニの場合はそれはあとから獲得したものである。音のついたスラップスティック・コメディといったものの系譜がジャック・タチからイオセリアーニまでのびているかもしれない。また彼の映画には乗り物(老婆の手押し車から戦車まで)がよく出てきて、それが画面に躍動感をもたらす。

さて、こうした二十分ほどのトークショーである映画作家なりある作品について語るということは不可能である。自分はいままでそうしたことをしてきたが、そろそろ止めようと思っている、と蓮實氏は言う。トークショーというのは、いわば北野武が昔フランス座でやっていた前座のようなもので、彼は偉くなってからはそうしたことはしていない。自分も偉くなってそろそろこういうことは止めにしたいと。なのでこのトークショーも最後から何番目かのものになるだろうとのこと。それとイオセリアーニの作品が気に入ったら、ぜひ海外にでも足を運んで全作品見て欲しい。映画ファンが怠惰なのは、与えられるまで待っている点である。自分から遠くまで出かけていって未知の作品に出会い、それを紹介することをして欲しい。またイオセリアーニの作品を育んだグルジア映画の豊かな鉱脈もぜひ自らで発見して欲しい。もしグルジアに出かけることがあったら、レストランでグルジアワインではなく、イオセリアーニの好物のテキーラを注文するように、とのこと。