狂気のクロニクル

hj3s-kzu2004-07-18

a)『S21』(リティー・パニュ)
a) 組織の一員として盲目的に働くということは何と恐ろしいのだろう。特にその組織が間違った方向を向いている時には。ポル・ポト政権下で多くの人命が失われた政治犯収容所S21についてのこのドキュメンタリーでは、生き残った元看守と元囚人がかつての収容所跡に集められ、何故そのような狂気が起ったのかを検証していく。拷問によって虚偽の自白をさせられ、無実の人間を「反革命分子」として告発する。それも数人ではなく数十人である。そしてそれによって逮捕された数十人がそれぞれ同じようにさらに別の無実の人間を告発していく。生き残りの一人の口から洩れたように「数年後には一人も残らなくなる」。このような政治体制がつい二十年ほど前のカンボジアには存在したのだ。S21の職員たちの主たる目的は「書類」を作成することである。そのためにあらゆる拷問が行われる。例えば、その虐殺の被害者となったある看護婦の調書には、彼女の「自白」(もちろん強要された上での)として、彼女の「破壊活動」が端正な文字で記載されているのだが、その「書類」の内容たるや、驚くべきほどに馬鹿げたもので、彼女が破壊活動のために手術台の上に排便したとか、そのような類のもので、それが正式な書類として作成され受理されているところに、当時の狂気の一端が窺える。元看守の一人が、かつて囚人たちを収容していたがらんどうの大部屋とその廊下で一枚の扉を律儀に何度も開閉しながら、そこにいたはずの今は姿の見えない囚人たちに向かって身ぶり手ぶりを交えて大声で怒鳴っている、当時の様子を再現した一人芝居を真剣に演じているさまを捉えた長回しのショットを見ていると、べケット的な不条理さを感じ、不謹慎な笑いが込み上げてくる。そう、全ては馬鹿げている。しかしその中にいる人間にとってそれは死活問題なのだ(看守も命令に背けば処刑される)。こうした極限状況で「倫理」を問うことは可能だろうか。だが、それは問われなければならないのだ。こうした狂気が過去のものでないことは、先のイラク人虐待事件を考えてみれば明らかである。
なお、この映画の背景となったカンボジア現代史に関しては以下のサイトに詳しい。
カンボジア50年(「カンボジア缶」より)
http://www.tufs.ac.jp/st/club/caminterv/50nen.html