土本典昭を見る

hj3s-kzu2004-07-23

a)『ドキュメント路上』(土本典昭
b)『水俣の子は生きている』(土本典昭
c)『留学生チュア・スイリン』(土本典昭
a) まだ街灯が点っている明け方の東京の無人の街路をゆるやかに前進移動していくキャメラ。『ネガの手』(マルグリット・デュラス)のやはり明け方のパリの街路を前進移動していく画面を先取りしているかのようなこのショットを見ていると、いつまでもこの画面が続けばいいという思いに誘われてしまうが、デュラスと異なり、土本典昭の作品においてはそうした画面に淫してしまうような欲望が叶えられることはなく、このゆるやかな持続はシャープに切断されてしまう。冒頭に配されたこのショットは直進運動から右方向へと旋回しつつ速度を落とし、停止したその場所に見える並んだタクシーから、そこがタクシー会社の駐車場であり、いま見ていた画面はタクシーに据えられたキャメラから撮られたものであり、おそらくこれから見る映画がタクシードライバーの日常を主題としたものであることを私たちはおぼろげに理解しはじめる。タクシードライバーの一日は洗車からはじまる。ホースから勢いよく飛び出す水流とブラシによって徐々に泥を取り除かれ、本来のメタリックな輝きを取り戻していくホイールやバンパーは何と美しいのだろう。建設ラッシュに沸くオリンピック前夜の東京の街路はタンクローリーやダンプカーで埋め尽されていて、小さなタクシーはそれらに窮屈そうに挟まれている。撮影の鈴木達夫の望遠レンズはそうした街路に潜在する危険を白日のもとに明らかにし、そこは一瞬にして殺意と恐怖に満ちた空間へと変貌する。あるいは深夜の路地をヘッドライトで照らしながら走っていくタクシーを少し距離を置いて背後から追っていくトラヴェリング・ショットは運動の魅惑に満ちていて、『十字路の夜』(ルノワール)の最良の瞬間を思い起こさせる。あるいは大型トラックがうなりを上げてすぐ脇を走り抜けていく夜のハイウェイの緊迫感あふれる場面は『彼らはフェリーに間に合った』(カール・ドライヤー)のようにスリリングである。そしてこれら全ては、右折しようとしたタンクローリーとタクシーが接触事故を起こしそうになる場面に端的に見られるごとく、映画作家によって演出されたものなのだ。機材の制約に由来する映像と音響の非同期性を逆手にとって、沈黙とノイズを音楽の一要素のように巧みに配分しつつ構成されたサウンドトラックも見事な効果を上げている。掛け値なしの傑作。
b) その後の映画作家の一生を決定づけてしまった「水俣」との出会いの出発点となったという意味で重要な作品。ただし被写体となる水俣病患者に対する視線はどこか控えめでよそよそしい。テレビ作品という枠組のためなのだろうか、キャメラは対象に肉迫するわけではなく、作品は水俣病患者についてのドキュメンタリーというよりは、水俣病患者に関わっているケースワーカーの若い女性についてのドキュメンタリーという形式を取っている。よって私たちの水俣病患者たちの向けられるまなざしは彼女の視線によって媒介されている。おそらくこの「距離」に忸怩たる思いが映画作家のうちにあったのだろう。それに対するリベンジがのちの『水俣―患者さんとその世界―』に始まる傑作群として結実することになる。患者たちの写真に貼られた目かくしの白いテープがゆっくりと剥がされ、そこから彼らのまなざしが徐々に現れてくる終盤のショットは、一般性―特殊性の回路から個を解放し、彼らに単独性を与え返す戦慄的な瞬間であるとともに、新たな映画づくりへと向っていこうとするこの映画作家の「宣言」として感動的である。
c) 例えば、あなたがある国に国費留学生として滞在していると想像してみよう。ある時、突然あなたは政治活動が理由で奨学金の支給を打ち切られ、大学から除籍され、本国に強制送還される。もちろん本国に還ればすぐさま投獄される。この仮定が想像上のものではなく、身に迫る危険として現実化してしまったのが、この作品の主人公であるマレー人のチュア・スイリンである。彼のヴィザに記された「APR 29」という滞在期限の文字が当時の天皇誕生日であるのは何とも皮肉である。彼を支援するための会が、彼が所属していた千葉大学の学生有志(留学生多数を含む)によって結成され、彼の復学をめぐる闘争が行われる。しかし、当時の千葉大学学長は何と下品な顔をしているのだろう。チョビひげを生やして薄ら笑いを浮かべた、まるでどこかの中小企業の経営者めいた容貌のこの男の言動を見ていると、「保身」という言葉が浮かんでくる。外国人として外国語で吃りつつ語り闘うこと。支援集会で各国の留学生が自らの母国語ではない日本語や英語でスピーチをするなか、一人の中国人留学生が自分は「国際の歌」をうたうことにしますと突然言い出す。「国際の歌」とはもちろん「インターナショナル」である。しかし映画のなかで様々な言語でうたわれるこの歌が決まって美しいのは何故だろう。例えば『暗殺の森』(ベルトルッチ)を思い出してみるがよい。この作品において中国語でうたわれたこの歌もやはり美しかった。あるいは挿話的に語られた場面のなかで、アメリカ軍の北爆開始に対して行われたヴェトナム人留学生たちのデモの映像に重ねられた、彼らの一人がやはり吃りつつ日本語で語る抗議には胸を打たれる。
ところで今回の特集は、「土本=水俣」という紋切り型(「小川=三里塚」というもう一つの紋切り型と連繋した)からこの映画作家を多様性の側へと解き放つ絶好の機会である。もちろん「水俣」という主題がこの映画作家にとって重要なものであることは間違いないのだが、それが「問題」として語られることによって、私たちの視線を肝腎の画面から遠ざけてきたことも事実である。映画を見るとは、こうした紋切り型=イメージに抗いつつ「見る」ことでなければならないことは言うまでもない。

土本典昭フィルモグラフィ展@アテネフランセ文化センター
http://www.athenee.net/culturalcenter/schedule/2004_07/tsuchimoto/TF00.html