海とお月さまたち

a)『わが街わが青春―石川さゆり水俣熱唱―』(土本典昭
b)『日本の若者はいま』(土本典昭
c)『偲ぶ・中野重治―葬儀・告別式の記録―1978年9月8日』(土本典昭
d)『海とお月さまたち』(土本典昭
a) ただただ泣いた。
c) ただただ泣いた。
d) 静謐な美しさにあふれた隠れた名作。不知火海を舞台にしていながら、ここには「水俣」のミの字も出て来ない。児童映画として企画されたためであろうか、ナレーションに固有名詞はほとんど使われない。唯一、「不知火海」という一語がその場所をかろうじて特定し、漁師の二人の息子の名前が語られる以外は、物事は普通名詞によって名指される。それによって私たちが目にするものは「水俣」にまつわる諸々のイメージからゆるやかに引き剥がされ、一つの海、一つの月、一つのフグ、等々として差し出される。漁船の上に引き上げられたばかりのフグや鯛の開いた口の間から見える鋭い歯や獰猛そうな目のアップは、改めてそれらが荒々しい海で生きる生き物であることを伝えて余りあり衝撃を与える。夜の海に魚を採るために船を繰り出す夫婦のシーンでは、妻が船を漕ぎ、舳先に取り付けられた大きなライトによって照らし出された海面を夫は銛を手に覗き込みながら、すばやく狙いを付けてまさに一撃のもとに魚を捕らえるのだが、漁師の顔、銛を持つ手元、海中で銛が魚に突き刺さる様子、闇夜をゆっくりと進んでいく船、などの一連のショットがまさに絶妙の呼吸としかいいようのない編集で繋がれ、ロバート・フラハティを思わせる待機のサスペンスの時空を現出させる。