アテネからアテネへ
a)『もうひとつのアフガニスタン カーブル日記1985年』(土本典昭)
b)『在りし日のカーブル博物館1988年』(土本典昭)
c)『みなまた日記―甦える魂を訪ねて―』(土本典昭)
『みなまた日記』の上映後(その後のトークショーとは別に)最後だから何か話したいと土本監督が前に出られてお話をされた。聴いていて何度となく熱い涙が出そうになるのをずっと堪えていたので、頭痛がした。続くトークショーも何と三時間にも及び(うち今田哲史、鈴木志郎康、藤原敏史の各氏らの映像作品を使ったプレゼンが一時間ほど)さすがに疲れた。さて一ヶ月近くに渡った今回のフィルモグラフィ展も今月末の川崎での上映をもって締めくくりとなるが、現役の映画作家の四十年間に渡って撮られた全作品を見るという体験は得難いものだった。「水俣」シリーズで、胎児性患者さんたちの幼年期から中年期までを順に追って見て来たわけだが、人の半生を映像で見るということができるのも、映画固有の神秘である。そしてそれが可能なのもこの映画作家が四十年もの長きに渡って、絶えまなくこの地に視線を注ぎつづけていたからに他ならない。このこと一つをとっても全く頭が下がる思いである。
さて、帰宅して女子サッカーの対ナイジェリア戦を楽しみにテレビの前で待っていたのだが、予定時刻の深夜0時を回っても一向に試合の模様が中継されない。男子・女子柔道ともに金メダルを獲得したので、その授与式の模様を延々放送しているのだ。人はよっぽど「運動」よりも「物語」が好きなのだろう。非国民の自分としては日の丸も君が代も目にも耳にもしたくないので*1、早く終わらないかとイライラしていたが、やっと終わったかと思うとニュースになり、また同じ画面を流している、アホか。前半も十分を残すところになってようやく試合の中継が始まった。この間の男子サッカーよりはるかに面白く、彼女たちも健闘していたとは思うが、残念ながら結果は御承知の通りに終わった。これはひとえに「運動」よりも「物語」を選択するという裏切りをした日本人に対する天罰なのではないかと愚考する。もしそうだとしたら選手たちにとってはいい迷惑である。