ウド・キアーを聴きボーディ・ガーボルを見逃す

a)『ドッグス・ナイト・ソング』(ボーディ・ガーボル)
今日は東京フィルメックスでボーディ・ガーボルを見た後、アテネの松本さんにお誘いを受けたので、映画美学校でウド・キアーの特別講義を聴きにいく。映画から受けるイメージとは反対になかなかの常識人な感じのナイスなおじさんだった。映画を撮るために必要な資質は「みる」ことだと彼は力説していたが、全く同感。『恐怖の映画史』のS氏が司会をやっていたのだが、30分位で質問が尽きたためか、おもむろに生徒たちを次々に指名して質問をさせ始めた。いきなり指名された生徒たちから碌な質問も出るはずはなく、答える方も疲れたと思うのだが、聴いている方も疲れた。しかしあれだけ沢山の人が質問したのに、冴えた質問が一つもなかったのはどうしたことか(批評家も含めて)。映画美学校の未来は本当に大丈夫なのだろうかと他人事ながら心配してしまう。二時間ぐらいで終わるだろうと考えていたので、レイトショーの『アメリカン・ポストカード』(ボーディ・ガーボル)を見るつもりだったのだが、おかげで見逃してしまった。途中から入ってきて途中で退席したid:Godardはその点、実に聡明であった。私はといえば、壁側の隅っこに座ってしまったので退席しようにもできなかった。結局、講義は三時間近くなり、ああやっと終わったと思いきや、最後にS氏が彼へのオマージュのためか、『処女の生血』について山田宏一が書いた文章をだめ押しのように朗読しはじめたのは、その文章が素晴らしいにせよ、こちらにしてみれば拷問に等しかったのだった。参考上映されたアカデミー賞の短編部門にノミネートされたとかいうCM出身監督が撮った短編もどうしょうもなく下品な演出の最悪な作品だった。物語のアイデア(ヒットラーは実はロンドンに逃げ延びて老婆に女装して生活する)は悪くなかったけど。

黒沢清の恐怖の映画史

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