多様体としての映画

hj3s-kzu2004-11-28

a)『逃げ口上』(ジャン=ピエール・リモザン
リモザン講義最終日。本当に久しぶりに見た『モダン・タイムス』(チャップリン)の抜粋で、バナナを投げるポーレット・ゴダードのぎらぎらした野性味あふれる眼差しの素晴らしさ。で、今日は『TOKYO EYES』についての裏話のようなことをリモザンは語った。が、特記するほどのことではないのでここでは書かない。終盤になって、突如、彼は映画と欲望との関係について語り始めた。映画は様々な欲望を見るものに喚起させる。例えばボリス・バルネットの映画を見ると恋をしたくなる。あるいは声を聞く快楽というものもある。例えばミシェル・シモンの声。あるいは表情の魅力というのもある。それについての偉大な映画は『クローズアップ』(キアロスタミ)である。あるいは冒頭の超絶的な長回しを持つ『黒い罠』(ウェルズ)のような映画を見る快楽もある。他にも映画は様々な情動を引き起こす。映画を撮りたいという欲望をかきたてる映画、リモザンにとってそれは『ウィークエンド』(ゴダール)だった。すなわち大いなる自由の映画。ところで映画は撮られるだけでなく、見られるべきものでもあり、どんなつまらない映画にも見るべき点はある、とアンリ・ラングロワはかつて語った。彼もその考えに同意する。映画を作家主義的な観点から見るのではなく、もっと演出には寛容になって、多様な視点から見るべきだ。そのような見方を可能にする多様体としての映画のうちで最高のものは『狩人の夜』(チャールズ・ロートン)である。単一の視点からは単一な映画しか生まれない。どうか様々な視点を取りうるような映画を撮って欲しい、と。
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