蓮實重彦とことんゴダールを語る

hj3s-kzu2005-09-24

a)『アワーミュージック』(ジャン=リュック・ゴダール)★★★★


今日は急遽、撮休となったので、『アワーミュージック』のDVD(米国盤)で予習してからABCに蓮實重彦氏の「とことん」を聴きに行く。以下が私なりのレジュメ。いつも通りバイアスかかってます♪


今日のお題は、「「白壁のゴダール」から「ランプシェードのゴダール」へ」。今回の講演内容は、最近出た『ゴダール革命』には収録されておらず、本邦初公開で、近く外国語の論文として発表予定とのこと。収録しなかったのは、こうした主題論的な分析は、『監督小津安二郎』や「ジョン・フォード論」ですでにしているからだという。
ゴダールの作品を初期から見てきた者なら、そこにある対象が繰り返し画面に現れていることに気づくだろう。言うまでもなく、女性の頭を被う「ソフト帽」である。1960年代のゴダールは、女性に「ソフト帽」を被らせなければ、映画が撮れない病理学的な存在なのである。まず処女作『勝手にしやがれ』(1959)を見てみよう。ホテルの一室のベッドの上でジーン・セバーグジャン=ポール・ベルモンドが語らうシーンで、セバーグは「ソフト帽」を自分の頭の上に載せる。これはこの作品において最も感動的なシーンである。あるいは『はなればなれに』(1964)のゴキゲンなダンスシーン。ここではダンスが始まる直前にサミー・フレイが自分の「ソフト帽」をアンナ・カリーナに被せる。『ウィークエンド』(1967)では、ミレーユ・ダルクが交通事故の被害者の死体から次々と衣装などを略奪していき、いつの間にか彼女の頭には「ソフト帽」が載っている。そして彼女はヒッチハイクのために道路に大股開きで寝そべりトラックを停めるだろう。女性が「ソフト帽」を被るためには、その前提としてそれが男性の頭部を被っていなければならない。1960年代のゴダールにあっては、男性から女性へと「ソフト帽」が移動する瞬間に、愛に似た何かが生じるのだ。『気狂いピエロ』(1965)にあっては、やや事情に変化が見られる。一度、ベルモンドを捨てたアンナ・カリーナが、ヨットハーバーで彼と再会する時、彼女の頭に載っているのは、「ソフト帽」ではなく水夫帽である。これが意味するのは、彼女がすでに別の男(おそらくはロクデナシ)の所有物であるという痛ましい事実である。1970年代以降、画面から徐々に姿を消していく「ソフト帽」は、しかし20世紀の終りになって突如、『愛の世紀』(2000)で再び姿を現わす。この作品のどの場面に「ソフト帽」が出てくるかはぜひ各自で確かめてもらいたい。その機能に自覚的である者なら、その登場に感動を覚えるはずである。女性が被る「ソフト帽」のイメージをおそらくゴダールは自分の発明品だと考えているに違いない。しかし『男装』(1935)でジョージ・キューカーキャサリン・ヘップバーンに「ソフト帽」を被せたよりもさらに早い時期に、一人の日本の映画作家がすでにそうしたことをやってのけている。言うまでもなく『その夜の妻』(1930)の小津安二郎である。和服姿の八雲恵美子に二丁拳銃を構えさせたことで忘れがたいこの作品において、その場面の直前、彼女の夫を捕えようとした刑事は、彼女の頭に「ソフト帽」を被せている。それが、彼女の夫ではなく、彼を追う刑事だという点において、小津はゴダールよりも遥かに錯綜した関係を「ソフト帽」ひとつで描いており、もしゴダールがこれを見ていたら平身低頭して恥じ入るしかない素晴らしいシーンである。『軽蔑』(1963)では、「ソフト帽」を被ったままミシェル・ピコリが浴槽に浸かる場面がある(しかも金髪のブリジッド・バルドーはここで黒髪のカツラを被る)。彼がそうしているのは、『走り来る人々(Some Came Running)』(ヴィンセント・ミネリ、1958)のディーン・マーティンがどんな時でも「ソフト帽」を脱ごうとしないことへの映画的記憶の反映である。「ソフト帽」を脱がされたディーン・マーティンは相手を即座に殴り倒してしまう。ゴダールの「ソフト帽」とは、『勝手にしやがれ』の前年に撮られたこのアメリカ映画に由来する歴史の浅いものなのである。
ゴダールの作品に頻出する装身具としては「ソフト帽」の他に「眼鏡」がある。両者は何かを「覆う」という点において共通している。では「サングラスの自画像」とも言うべき一連のイメージを見ていこう。『ヴェトナムから遠く離れて』の中の一編「カメラ・アイ」において、巨大なミッチェル・キャメラのファインダーを覗く「サングラス」のゴダール。これが1960年代において世界的に流通していたゴダール自身についての代表的なイメージである。しかし1970年代のジガ・ヴェルトフ集団での雌伏期を経て、いわゆる商業映画に帰還した1980年代のゴダールの目を覆っているのは、かつての「サングラス」ではなく、単なる「眼鏡」である。その最初のイメージを短編『フレディ・ビアシュへの手紙』(1982)に見ることができる。「映画は若死しつつある」という認識が語られているこの作品以降、しばしばゴダールは「失業中の映画作家」の役で自作に登場することになる。翌年に撮られた『カルメンという名の女』(1983)で精神病院に入院した映画監督のイメージなどはその典型である。『映画というささやかな商売の栄華と衰退』(1986)では、さらに「ソフト帽」の回帰が見られ、アイスランドに隠遁した映画作家を演じるゴダールの目はいつになく清清しさに溢れている。浮き世離れした映画作家のイメージは『右側に気をつけろ』(1987)の「白痴」や『ゴダールのリア王』の「プラギー教授」の役においてさらに拍車がかかる。しかも後者においては、ゴダールの頭部を被うのはもはや「ソフト帽」ですらなく、無数の電気コード(ほとんどレゲエおじさん化したゴダール)なのである。これらの作品においてゴダールが演じているのは「道化」である。したがってしばしば自己荘厳化の試みとして誤解されがちな『JLG/自画像』(1995)もそうした文脈に位置づけなくてはならない。レマン湖畔でヘーゲルの『精神現象学』の一節を呟き、キャメラに向って「Kingdom of France」と語りかけるゴダールは荘厳というよりは滑稽な存在である。
「ソフト帽」や「眼鏡」がそうであるように「ランプシェード」もまた何かを「覆う」ものである。真昼のような明るさに満ちていた1960年代のゴダール作品の室内とは異なり、1980年代以降のゴダール作品の室内には「薄暗がり」が支配している。そこには「白壁」から「ランプシェード」への主題論的な移行が認められる。「白壁」の典型的なイメージとして、『気狂いピエロ』でアンナ・カリーナとベルモンドが逃避行に出る直前の場面を見てみよう。そこでベッドに横たわった死体やアンナ・カリーナにビール瓶で後頭部を殴られる男などに見られるように、「白壁」の部屋は「冒険」の舞台である。しかしそうした「暴力」的な「冒険」とは別に、『中国女』(1967)においては、「白壁」の部屋は「思想」的な「冒険」の舞台でもある。こうした1960年代の「白壁」は徐々にゴダール作品から姿を消していき、1980年代からは「ランプシェード」が代わって画面に登場し始める(ただし「白壁」が支配する『女は女である』(1961)にあっても、アンナ・カリーナとジャン=クロード・ブリアリの就寝のシーンでは、すでに「ランプシェード」の独創的な使用が認められることを忘れてはならない)。例えば『こんにちは、マリア』(1983)において、処女懐胎したミリアム・ルーセルのベッドの脇には、窓から朝方の光が差し込んでいるにもかかわらず、明かりの灯った「ランプシェード」が置かれている。またゴダールの作品で「ランプシェード」といえば誰もが思い浮かべるのが、『ヌーヴェルヴァーグ』(1990)で「ランプシェード」の置かれたいくつもの部屋を捉えた横移動のショットであろう。そこで見逃してはならないのは、その明かりを「メイド」が一つづつ消しているという点である。ゴダールにあっては、「ランプシェード」は「階級関係」を作品に導入するのだ。「ランプシェード」が画面の中心を占める部屋にあって、その壁を覆うのは無数の「本棚」である(ブルジョワ的な)。それを『新ドイツ零年』(1991)でハンス・ツイッシュラーが『精神現象学』を翻訳する「書斎」や、『映画史』(1988-1998)の冒頭のゴダール自身のものと思しき「書斎」、そして『JLG/自画像』の「書斎」(ここにもやはり「メイド」が登場する)で見ることができる(ちなみに『映画史』に登場した「ランプシェード」と『JLG/自画像』のそれは全く同じものである)。
最後に最新作『アワーミュージック』(2004)の予告編を見て今日の講義はお終い。この作品は是非、友人を連れて見に行くべきだ。その友人がさらに別の友人と連れ立って…というように、ゴダールの作品は絶えず「複数化」へと人を誘うものなのだ。

ゴダール革命 (リュミエール叢書 37)

ゴダール革命 (リュミエール叢書 37)