言葉とユートピア

hj3s-kzu2006-03-18

a)『言葉とユートピア』(マノエル・ド・オリヴェイラ)★★★★

『言葉とユートピア』以外の作品について蓮實重彦氏が講演で語ったことを、私なりに以下にまとめる。

許しがたいことに、IMDbオリヴェイラの作品に低い評価を付けた者の中に、ポルトガル人が含まれている。この人たちの言い分は、ポルトガルには他に若くて優れた映画作家がいるのだから、この老人(オリヴェイラ)だけに金を注ぎ込むのは間違いである、というものである。こういう言説が生まれる状況も分からないではない。事実、日本にはまだキチンと紹介されていないが、すでに亡くなってしまった優れた映画作家がいる(例えば、ジョアン・セーザル・モンテイロ)。
溝口健二がかつて海外で紹介された時の反応も似たようなものであった。当時の日本の愚かな映画評論家は、あんなものは外国向けに作られたものであって本当の日本映画ではない、と言っていた。
ところで『不安』の方は『言葉とユートピア』の持つ峻厳さとは異なり視覚的な快楽に満ちている(と同時に、快楽がいかに不可能かということについての映画でもある)。『不安』は三つのエピソードからなるが、それらが普通だったら「何これ」というような結ばれ方をしている。それらが一つに結ばれる理由はないけれど、オレが三つのエピソードを一つに結んでみせる。そしたらそれが映画だ、というオリヴェイラの確信がうかがえる。最初のエピソードでは、年老いた高名な学者とその息子(こちらも初老)が書斎で延々と会話をするのだが、その中央に置かれたピアノの上に美しい女性の大きな写真が飾ってある。この女性こそ、蓮實氏いわく「現在、世界で最も魅力的な女優」であるイザベル・ルートなのだが、彼女は女性として人を誘惑すると同時に拒絶するという身振りを演じることのできる数少ない女優である。
そして『未来への迷宮』(アブラム・ローム)だが、当時のソ連で公開禁止となったこの奇妙な傑作は、モスフィルムのような国策(「社会主義リアリズム」)にそったスタジオではなく、帝政ロシア時代から続いていた小さなスタジオ(ある意味、資本主義的な)で撮られている。スターリン時代にこのようなスタジオが存在したというこの事実にまず驚かざるを得ない(ちなみに蓮實氏はこのスタジオに関する研究書を持っており、この講演に持ってこようと深夜まで書架を探したが見つからなかったとのこと)。ただしこのスタジオも1935年には閉ざされることになる。この映画の、湖畔の大邸宅に住む医学博士の妻がやおら裸体となり、湖に泳ぎに行く冒頭のショットから見る者は驚かされるが、その彼女に惹き付けられた若者たちがその周りでいつどのような踊りを見せるのかをぜひ見てもらいたい。ハリウッドを真似たとしか思えない豪華な装置なども出てくる(水に浸された巨大なダンスフロア!)。
最後に『白い足』のジャン・グレミヨンについて。グレミヨンが撮った傑作『高原の情熱』は蓮實氏が最初に見たフランス映画の一本である。当時、ローティーンだった氏は、これを見て、何か見てはいけないものを見てしまったように思い、大人にならなくては分からない世界がある、早く大人にならなければと思ったそうだ。フランス映画のみならず、世界で最も優れた映画作家の一人であるグレミヨンは、商業主義を非常に嫌ったために、数少ない映画しか残していない。ちなみに『映画史』の中でゴダールはこのグレミヨンについてほとんど触れていないが、彼が『映画史』の中で不必要なほど言及しているマルセル・カルネの「詩的レアリスム」などよりも、グレミヨンの作品の持つ雰囲気の方が遥かに優れている。
さてオリヴェイラは再来年で百歳になる。彼がルイス・ブニュエルへのオマージュとして撮った新作『昼顔』の日本公開への気運を(ネットなどで)盛り上げてもらいたい。また今回の特集上映「DANCE IN CINEMA」とは関係がないが、ジャン=ピエール・リモザンの新作『カルメン』も素晴らしい作品なので必見とのこと。