蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.14

hj3s-kzu2006-04-15

本日のお題は「映画において、男女はいかにして横たわるか―「やくざ映画」から「にっかつロマンポルノ」へ―」。まず蓮實重彦氏による前書きを以下に引用する。

制度的な意味で、また造形的にいっても、映画における男女は、同時に横たわることを執拗に避けてきた。その制約がいかにして緩んできたかを、「やくざ映画」(そこでは、横たわることは死を意味する)から「にっかつロマンポルノ」(そこで、衣服を脱ぎ捨てた男女が横たわることだけが求められていたかは、大いに疑わしい)への流れの中で探ってみたい。その前提として、グリフィス以来、横たわる女(あるいは男)にキャメラがどのようなアングルにおさまっていたかをまずたしかめておく。またわが国の映画史でいうなら、「やくざ映画」も「にっかつロマンポルノ」も、撮影所システムの崩壊時にあらわれたことは特筆すべきである。とりわけ、日活の破産につづく「にっかつロマンポルノ」の「成功」(撮影所出身の新人の最後の登竜門であった)は、わが国におけるインデペンデント系の作家の成立を十年遅れさせたことを見落としてはならない。

映画においては、並んで横たわる男女の身体というのはそう簡単には画面におさまってくれない。つまり「にっかつロマンポルノ」が描いていたようなことは、映画にとっては本来ありえないことである。
そのことを確認するために、まずヘイズ・コード期(そこでは男女のベッドシーンを描くことは禁じられていた)のハリウッドで撮られた『新婚道中記』(レオ・マッケリー、1937)のラストシーンを見てみよう。ドア一つで隔てられた隣り合った部屋でケイリー・グラントアイリーン・ダンが悶々とひとりで寝ているが、一計を案じたグラントとまんざらでもないダンが遂に一夜を共にすることになるまでを描いた場面(ドアを押さえる猫と、鳩時計の鳩の代わりにチロル風の衣装を着た二人が合成されているのが可笑しい)。ここでは、やや斜めに横たわるアイリーン・ダンとその側に立つケイリー・グラントという画面によってある種のエロティシズムが漂うことになる。映画史において多くの優れた場面はこうした横たわる女性(あるいは男性)とその側に立つ男性(あるいは女性)という画面におさまってきた。次に『散り行く花』(グリフィス、1919)を見てみよう。リチャード・バーセルメスが瀕死のリリアン・ギッシュを連れ出して自室に匿う場面でも、やはりベッドに横たわるギッシュとその側に立つバーセルメスが一つの構図に見事におさまっている。さらに『ブーローニュの森の貴婦人たち』(ロベール・ブレッソン、1944)においてもこの原則は守られている。『映画史』(ゴダール)にも引用されているポール・ベルナールが瀕死のエリナ・ラブールデットを見舞う有名な場面。ここでもやはり一方が横たわり、一方がその側に覆い被さるように座っていて、男女が並んで横たわることはできないという映画的真実をはっきりと告げている。しかしこの映画的真実を堂々とやぶってしまった映画作家が小津安二郎である。『晩春』(小津安二郎、1949)の笠智衆原節子が京の宿で一夜を過ごす有名な場面を見てみよう。ここでの原節子の顔の傾け方はこれまで見てきた場面の女性たちのそれとほとんど同じである。この画面が横たわった男女が並んで一つにおさまるという映画史的にも稀なケースであることに私たちは驚かなくてはならない。今まで見てきた場面では、男性が側に立ったり、座っていたりする時、斜めに横たわっている女性は死に瀕している場合が多かった。次にその死が確実なものとなっているケースを『今宵かぎりは』(ダニエル・シュミット、1972)から見てみよう。ここでは劇中劇として『ボヴァリー夫人』の臨終の場面がイングリット・カーフェンとペーター・カーンによって演じられている。ここでもやはりこれまで述べてきたような画面が反復されている。さらに『奇跡』(カール・ドライヤー、1955)のまさに奇跡のようなラストシーン。死んだはずの女性が側に立った男性の一言で蘇生する。ここにあるのは、一方が横たわり、もう一方がその側に立つならば、映画では何が起きても不思議ではないというドライヤーの確信である。こうした構図では、ほとんどの場合、横たわる人物は生から死へと移りゆくのだが、ドライヤーはそれを逆転させている。

こうしたことを踏まえた上で、では「やくざ映画」ではそれはどのように表現されているのかを次に見ていくことにする。「やくざ映画」で女性が横たわっている例として『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』(マキノ雅弘、1953)を見てみよう。山中に逃げのびた次郎長の子分たちが、病にかかった若山セツ子を急拵えの担架にのせて運ぶ場面。こうした即席の担架にのせて怪我人を運ぶというのは『忠次旅日記』(伊藤大輔、1927)以来の伝統だと思われるが、現代にいたるまでそれをやり続けていたのはマキノ雅弘ただ一人である。こうした画面は外国映画にも見られる。『リオ・グランデの砦』(ジョン・フォード、1951)を見てみよう。砦で夫と息子の帰りを待つモーリン・オハラのところに負傷して即席の担架にのせられたジョン・ウェインが戻ってくる。二人の人物がこのように画面におさまることは西部劇ではそれほど珍しいことではないが、その組み合わせが男女であるのはこの作品のみである。ここでフォードとマキノがやろうとしていることはほぼ同じである(この二人が対話する機会がなかったことが残念でならない)。「やくざ映画」の伝統では遺体を雨戸にのせて運ぶという画面がしばしば見られる。『侠客列伝』(マキノ雅弘、1968)を見てみよう。高倉健の親分の菅原謙二がなぶり殺しにされ雨戸で運ばれ絶命する。この場面に典型的に示されているように、男女の別を問わず「やくざ映画」においては人が倒れることは死を意味する。そのため「やくざ映画」では愛しあっている男女でさえ身を横たえようとはしない。『日本やくざ伝・総長への道』(マキノ雅弘、1971)では酔った野川由美子博徒に犯される場面で、「やくざ映画」にあっては例外的に女性が横たわっている。しかしこれには意味がある。彼女は病で死んでしまうのである。病床の野川由美子を若山富三郎が見舞う場面で、顔を傾けて横たわる瀕死の女性とその側に座る男性という、グリフィスからブレッソンを経由しドライヤーへといたる構図がそのまま反復されている。これを見るといかにマキノがグリフィス的な作家であるかが分かるだろう。これが告げているのは、横たわる男女はそう簡単に一緒に画面におさまってはくれないという映画的真実である。では非グリフィス的な作家である加藤泰の場合はどうなっているだろう。『明治侠客伝・三代目襲名』(加藤泰、1965)を見てみよう。安部徹になぶられている藤純子鶴田浩二が助けにくるが、その後の藤と鶴田のラブシーンは具体的な画面として示されることはない。男女が横たわってともにみたされた時を過ごすということほど映画にあって描きにくいことはない。それは心理的な問題ではなく、形式的な問題として画面におさまらないからである。

では「にっかつロマンポルノ」はどのようにこの原則に逆らおうとしたのか、あるいは逆らおうとしなかったのか。「にっかつロマンポルノ」の全てがそうだというわけではないが、しかるべき作家が撮ると横たわる女性の身体というのはどこか死の硬直性を纏いはじめることになる。横たわる姿勢というのは死へと傾斜する危険な宙づりの状態なのである。このことをまず『人妻集団暴行致死事件』(田中登、1978)で見てみよう。風呂場で室田日出男が死んだ黒沢のり子の身体を洗い交情に及ぶ場面。この死姦まがいのシーンはこれまでの日本映画になかったような無気味なものであると同時に見方によってはこの上なく美しいものである。外国映画ではこのような場面は許されないため、世界的にも稀なものである(ブニュエルですらやっていない)。ここでの室田は変質者でも何でもなく、ただ妻の黒沢のり子を愛していただけの普通の男である。次に『生贄夫人』(小沼勝、1974)から、谷ナオミを監禁している坂本長利が魚釣りにいって心中したカップルを発見し、仮死状態の女を犯していると彼女が蘇生してしまうというコミカルな場面。ここでもやはり男女がともに横たわっていることは死を意味しているが、ちょっとありえないのはそれを見て坂本が欲情してしまうこと。最後に『(秘)女郎市場』のラストシーン。今度はこれまでとは逆に、少々頭の弱い女郎の片桐夕子が女衒の益富信孝の屍体と交情に及ぶ。以上、見てきたように「にっかつロマンポルノ」が、横たわる男女は同時には画面におさまりにくいという映画的真実に逆らいえたかというと、どうもそうではなかったのではないか、というのが今日の暫定的な結論である。