映像のカリスマ

黒沢清の『映像のカリスマ』の「増補改訂版」が出た。目次の裏に以下の断り書きがある。

本書は、一九九二年一二月一日にフィルムアート社から発行された『映像のカリスマ 黒沢清映画史』に「IV 1995-2005」を加えたものです。

なお、フィルムアート社版に収録されておりました「フィルモグラフィー」は、二〇〇一年二月二三日に青土社から発行された『映画はおそろしい』に再録されているため、本書では割愛させていただきました。

で、新たに加えられた「IV 1995-2005」は分量にして70頁ほどで以下のテクストを含む。

ソウル・レポート/『降霊』についての質問に対する答え/アルゼンチンの新聞「ラ・ナシオン」の記事作成のための質問への返答/ブラジルの新聞「ア・フォラ・ド・サン・パウロ」の記事のための質問と返答/拳銃ものシノプシス/『1975・1985・1995 私たちはどこから来たのか、私たちは何者か、私たちはどこへ行くのか』/『大いなる幻影シノプシス/『アカルイミライシノプシス
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さらに「増補改訂版のためのあとがき」、「書籍名索引」、「人名索引」が加えられている(旧版は「映画題名索引」のみ)。また旧版にあった「初出一覧」は消え、各テクストの末尾に書誌情報が記されている。まだ段組みも変更され、1ページあたりの文字数が増えたおかげで、旧版より3ミリほど厚くなっただけである。
以上が内容に関する変更点だが、ヴィジュアル面にも大幅な変化がみられる。すぐに気づくのがカバーデザイン。旧版の著者本人(ヒゲなし)がいろいろなポーズをとったカラー写真(演出:万田邦敏/撮影:篠崎誠/協力:青山真治)に代わって、トレペのように半透明のカバーがシンプルに表題と著者名が記された本体を被っている。代わりに表裏の見返しに二色刷りで現在の著者(ヒゲあり)がやはりいろいろなポーズをとったリメイクともいうべき写真(撮影:篠崎誠)が印刷されている(これは旧版の方に軍配があがる)。
また章頭にあった「フィルモグラフィー」がなくなったために、そこに添えられていた『ドレミファ娘の血は騒ぐ』の撮影スナップと『地獄の警備員』のスチール写真(および撮影中の監督のスナップ)も消えてしまった。
ところで「フィルムの余白に 『女子大生・恥ずかしゼミナール』」と題されたテクスト(幻の映画『女子大生・恥ずかしゼミナール』*2の「NGフィルム」のコマ写真とキャプションから構成されている)に添えられた写真を旧版と新版で比較してみると次のような違いがあった。
まず初めの洞口依子の写真(新版p.73)は元のテクストでは自動小銃を持って河原を駆ける白いドレスの女性の写真である(旧版p.84)。また旧版の写真は若干露出オーバーぎみに焼かれているのに対し、新版の写真はややアンダーぎみに焼かれており、これによって細部がより鮮明になった点が評価できる反面、写真によっては暗部がつぶれている場合もある。先述の写真以外は同じものを使っているように思えるが、よく見ると微妙に違っている。これはおそらくマスターとなった『恥ずかしゼミナール』の「NGフィルム」、あるいは現行の『ドレミファ娘』のプリントから新たにコマ写真をスキャンしたものと思われる。ただしお蔵入りになった『恥ずかしゼミナール』の「NGフィルム」が、撮影されて20年後の今日も残っているとは思えないので、おそらく『ドレミファ娘』のプリントから起こしたのではないか(もっともここ何年も見直していないので確信は持てない。そもそも旧版の写真が本当に『恥ずかしゼミナール』の「NGフィルム」から起こされたのだろうかという疑問があるわけだが)。両者の差異が明瞭に見て取れるのは、新版p.77(旧版p.88)の麻生うさぎの風になびく髪、新版p.78(旧版p.89)の秋子の右手、新版p.80(旧版p.90)の性交中の加藤賢祟の表情、新版p.83(旧版p.94)の加藤賢祟の身体の傾き、新版p.86(旧版p.96)の伊丹十三の顔の傾き、新版p.89(旧版p.99)の部屋にぽつんと佇む洞口依子(だよね?)の足の位置、同じ頁(旧版p.100)の洞口依子の右手(これは旧版の方がいい)、とりあえず私が視認できたのはこんなところ。
「増補改訂版のためのあとがき」で、旧版が出版された当時を振り返って黒沢清はこう述べている。

一五年前と言えば、映画監督としては挫折の道を歩み始めた頃だ。何本か撮るには撮った。しかし、多くの人にはわかってもらえない。認めたくないことだが、ひょっとすると自分には映画を撮る才能などなかったのかもしれない、その事実をいよいよ自覚せざるを得ない時期にさしかかっていた。だから『映像のカリスマ』というそれこそ自身過剰なタイトルを冠した本がちょうど出て映画へかける情熱の度合いについてだけはまだ人に負けていないことをどうにか世間にアッピールできたような気がして、ずい分としなびてしまった自身のほんのわずかな残りを、かろうじて捨て去らないでいることができたような気がする。あの時もしこの本が出ていなかったら、私は本当に映画の世界に挫折して、以降全然違う人生を歩んでいたかもしれない。

『CURE』以降の黒沢清しか知らない若い世代にとっては想像もつかないかもしれないが、当時、確かに彼は「呪われた作家」であり、ファンはそれゆえに熱烈に彼を擁護した。そんなことを旧版の見返しに緑のペイントマーカーで書かれた「1993.1.27 Kiyoshi Kurosawa」(ふたつの「s」が大文字になっている)のサインを眺めながら思い出した。これは熱狂に包まれたアテネフランセ文化センターで彼と蓮實重彦の対談*3が行われた日付である。しかし一転『CURE』からの快進撃により、8ミリ映画から始まった彼の「革命」(蓮實重彦)は勝利し、今や「帝国」(青山真治*4と化した感さえある。この新版によって初めて『映像のカリスマ』を手にするものがなすべきなのは、自ら進んでこの「帝国」の臣民=ミイラと成り下がることではなく、この書物の潜勢力を自らの力となし、さらなる「革命」を遂行することである。それのみが「アカルイミライ」を開く。

映像のカリスマ・増補改訂版

映像のカリスマ・増補改訂版

黒沢清の映画術

黒沢清の映画術

映画に目が眩んで〈口語篇〉

映画に目が眩んで〈口語篇〉

*1:「ソウル・レポート」は2004年春にソウルで黒沢清レトロスペクティヴが行われた際の旅日記。三つの「質問と返答」は、外国のメディアによるインタビューのためか、ふだんは韜晦癖のある映画作家が割と素直に質問に答えている。日本人では思いつかないような直球の質問もあったりして面白い。残るテクストは全て、映画のシノプシスで、このうち未映画化なのは「拳銃もの」と『1975・1985・1995』で、まだ練り直しの余地を残してはいるものの、黒沢清の発想のプロセスが垣間見え興味深い。後者は『黒沢清の映画術』p.248で「1995年歌合戦」と呼ばれていたものとかなり内容的に重なる(また『LOFT』における「時間」との関連性について考えてみるのも一興)。またすでに映画化された二作品に関しても、シノプシスと完成作品を比較してみるのも面白いかも。

*2:この映画については『黒沢清の映画術』pp.87-102を参照のこと。

*3:蓮實重彦『映画に目が眩んで 口語篇』pp.823-847 ちなみに13年前のこの対談には立ち見が出るほどの人は集まらなかった。

*4:ともに2006.8.5にアテネフランセで行われた鼎談での発言。