映画美学校映画祭2006その4

映画美学校映画祭2006より。
『別荘坊やの離婚届』●
『柳は緑 花は紅』★
『すみれ人形』●
今日は比較的長いものばかりで、しかもどれも個人的には興味が全くもてない作品ばかりだったために、寝不足の身にかなりのストレスを与えたことは確かだ。そのために会場で中指を立てて『すみれ人形』をこき下ろすというはしたないまねをしてしまった。不快に思われたスタッフの方々にはお詫びする(ただし監督にはその必要を認めない)。技術的にはかなりの負担をスタッフに強いたであろうこの作品のくだらなさは結局のところ、甘ったれたボクちゃんの閉じた世界観を「美意識」とやらのオブラートに包んで、だらだらとクリシェの羅列によって垂れ流しているのが一番の原因である。こんなものに高額の予算を与えるよりは、それを十等分して十人の監督に撮らせた方が今年の映画祭がどれだけ豊かになっただろうと考えると残念でならない。上映中何度も席を立とうかと思ったが、貧乏人根性の悲しさゆえ最後までみてしまい、結果本当にうんざりした(これは以前『爆撃機の眼』を見た時にも感じた)。『別荘坊やの離婚届』はできの悪い深夜ドラマ。この手の小劇場的な小芝居の応酬は映画ではないことに気づくべき。また画面に対する感性が致命的に欠けているような気がした。『柳は緑 花は紅』は端的に言って演出が脚本に負けている。もったいない。
a)『西みがき』(井川耕一郎)★★★★
今日は『西みがき』が見られて本当に幸福だった。あまりの素晴らしさゆえに完璧に感情のタガが外れてしまい、姉がふとんに潜るあたりから作品世界に吸い込まれ、彼女が弟の幽霊の首を絞めて殺すあたりから、見ていてもう涙が止まらなくなり、上映終了後も何故かしらないが一人でボロボロ泣いていた(こう書いているうちにも涙が出てくるくらいだ)。この映画は自主映画の魂を私たちに教えてくれる。それは妥協に満ちた今の商業映画の世界では捕獲困難なものである。それは役者たちの一瞬の輝きだったり(この映画の役者たちは皆輝きに満ちている)、奇跡的なタイミングで通り抜ける風だったり、いくらでも列挙することができるが、一言でいえば「自由」である(しかも何という若々しさ!)。なぜ人はこの「自由」を手放して、頼まれもしないのにできの悪い商業映画みたいな自主映画を飽きもせず作りつづけるのだろうか。
以上をもって今年の映画美学校映画祭は終わった。修了生たちの作品がことごとく『サンドラ・ブロックスのフェイク/人生』(千浦編)に負けているのは大いに反省すべき点だろう(というのも彼は修了生ではなくて、映写技師だから)。来年に期待したいし、自分も余力があれば参戦したいと思う。また篠崎誠、西山洋市、井川耕一郎といった優れた映画作家たちのそれぞれ現時点での最高傑作を見ることができたのは、今回の大きな喜びだった。
なおサンドラブロックス3号ことCくんがまるで淀川長治のような慈愛に満ちた語り口でこの映画祭のことを語っているので、そちらも参照のこと。
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