5つのエチュード

「5つのエチュード」より。
『Here and There』×
『そこに籠る…』△
『革命☆前夜』×
『芥子の種』×
『歌舞伎義太夫語り 竹本清太夫』△
今日は『そこに籠る…』と『歌舞伎義太夫語り 竹本清太夫』が見られてよかった。一芸に生涯を捧げた老人というのは被写体として実に魅力的だ。彼らの顔、声、身振り全てが素晴らしいし、それを形作ったのがそのメチエだということがわかる。なお後者の最後の「ありがとうございました」というオフの声は不要。『Here and There』はタイトルに偽りあり。70年代ゴダールとこの作品の決定的な違いは、前者が自分で撮った映像を見ることから思考を出発させているのに対し、後者の映像は文字通り声を奪われ、オフで延々と語られるヒロシマを撮れないことの言い訳の埋め草にしか使われていないことだ。何度か挿入される路面電車からのショットが後退移動であることに象徴されているように、自らが選んだはずの対象から作者は遠ざかろうとしている。最後になってようやく画面に登場するライトアップされた原爆ドームの撮り方もいかにもおざなりだし、そこにオフで語られるミナマタという固有名も何の意味もなしていない。一言でいえば、思考の放棄。『革命☆前夜』の被写体たちを見ると、日本にはこの先、革命は起きないだろうとわかって暗澹となる。被写体も撮り手もともにヌルい。あまりにも古臭い革命家のイメージのそのまた悪しきパロディにしかすぎない外山某に対し、今ここでの享楽を志向するリサイクル店主の革命概念は「68年的」といえなくもないが、編集を見る限り、作者は両者の差異にはあまり敏感ではないようだ。しかも残念ながらああした祝祭は単に体制側の管理強化に奉仕するだけだ。「権力の手先」と対峙した時の撮り方もクリシェ。革命は遠い。『芥子の種』はエンバーミングを仕事としている女性を被写体に選び、その仕事場まで見せておきながら、実際の作業をキャメラに収めず、どこかの書物から引っ張ってきたスチール写真を挿入して誤魔化している点が不誠実だと思う。もっともそうした映像を実際に見るのはあまり気分のいいものではないし、おそらく作者もそう思ったのだろうが、だとしたら別のアプローチの仕方を考えるべきだったのではないか。
なおどの作品も安易にフェードアウトを使い過ぎ、確かにそれによって何となく繋がったような感じにはなるが、その分、強度も殺がれる。繋がらなさの中にこそ思考の端緒があるのでは。
実はこの後、チラシになかった短編がもう一本上映されたが、どうしてもシネマヴェーラに行きたかったのでパス。
a)『怪談せむし男』(佐藤肇)△
b)『銭ゲバ』(和田嘉訓)×
上映後、朝まで呑む。