北京滞在記 その6

本日からまた通常のプログラム。昨晩遅くまで起きていたせいか、ひどく眠い。
『Up the Yangtze(沿江而上)』(ジャン・チャオヨン)は、観光船が長江の水門を通過するのを甲板の上からとらえた冒頭のショットはなかなかのものだったが、それだけだった。貧乏な家庭に育った青年が豊かな生活を望んで、外国人観光客向けの豪華客船で働き始め、成功のきっかけを掴むが、傲慢な性格が災いし、馘首になるという物語を主軸に、ラスト近くでとってつけたように、彼の一家が三峡ダム建設のために退去させられるエピソードを絡めたドキュメンタリー風の作品だが、単に出来の悪い三流のフィクションに過ぎない。カナダ在住の華僑である作者は、「三峡ダム」ブームにあやかって、オリエンタリズム満載のこの作品で欧米人に媚びている。カナダのテレビ局の資本で撮られたこの作品のどこが「独立映画」なのかも理解に苦しむ。
『Umbrella(傘)』(ドゥ・ハイビン)は、今年のベネツィア映画祭に出品された作品で、私も楽しみにしていたのだが…、昼食後ゆえ睡魔が…。残念。すでに見ていた前田くんは良くないと言っていたが、起きていた時に見た切れ切れの断片は、説明を排したショット連鎖で悪くなかったように思う。中国国内で傘がどのように生産され、それがいかに市場で流通するかを描いた作品だった気がする。
『Only Child(独生子)』(ツゥイ・ズエン)は、三人の若い男の子と一人の女の子が、浜辺で空気の入った瓶を大事そうに持って歩いて、夜になると焚火のそばで順列組合せ的にセックスする作品。物語はあるようなないような。中国で公開された映画は全て見ることにしているNさんも、ツゥイ・ズエンの作品に関してはどれもこんな感じで一年に三本も四本も作られるため、フォローするのを諦めたとのこと。
次に、私の『吉野葛』と『火の娘たち』。『吉野葛』は英語字幕しかついておらず、しかも英語を解さない観客が大半を占めるので、前田くんから事前に、上映が始まったら皆ぞろぞろ席を立ちますよ、と脅されていたのだが(もっともそんなことでは動じないけどね)、意外や意外、確かに途中、十人ほど出ていったが、上映ホールを埋める百人以上の観客は最後まできちんと見てくれた。これには感激。Q&Aは、まず『吉野葛』について、歴史的・文化的・政治的背景をかなり丁寧に解説(日本人相手だったら絶対そんなサービスはしない)。次に『火の娘たち』について、「岩井俊二的な思春期の心の揺れ」とか、「北野武的な暴力描写と武士道との関係」とか、想定外の方向からビュンビュン球が飛んでくるので驚いたが、日本文化についての彼らの間違った認識をきちんと正して、日本のためにしっかり国際交流に務めてきた(皆、感謝するように)。ちなみに中国で最も有名な現代の日本の映画作家は岩井俊二北野武だそうで、その辺からこういう質問が出てきたようだ。また中国では暴力描写が当局によって規制されているので、この作品の即物的な殺しの描写(それほど暴力的でもないけど)がショッキングに映ったようだ。始まる前は、別に話すことなんてないし困ったな、と思っていたが、通訳兼司会の前田くんの適切なフォローのおかげで、こちらもついついサービスしてしまい、結局、時間オーバーしてしまった。
『三人打ち』(金鋼浩)は、以前見た時にも感じたことだが、「在日」という主題にもたれかかりすぎている。そのため登場人物たちの感情の揺れも全てその主題によって了解可能であるかのように物語が進んでいき、観客にそれを伝える努力は予め放棄されている。逆に言えば、それは作者が無意識にその主題の中に自足していることでもある(作者にとっては不本意なことだろうが)。であるがゆえに、ラストの主人公たちの号泣には全くのれない。作者はこの主題に対してもっと距離をおいて見つめる必要があるように私には思われる。
『Gobi(戈壁)』(カン・シウェイ)は、全身、銀色のヘルメットにボディースーツの人々や、サングラスに黒服の男たちや、真っ赤な作業服の男たちがインダストリアルな舞台装置で奇妙な振付けの動きをするキッチュな味わいの小品。わざわざゴビ砂漠までロケに行っているのは、タイトルに偽りなしで天晴れ。ヴィジュアル的にどこかクラフトワークを連想させる。
『Hot Water Boiling(熱水沸騰)』(リ・ジエン)は、掌編アニメで、中国古代と近未来がミックスされたような世界観の中で、擬人化された昆虫たちがカンフー・ファイティングしたりする作品。物語はよく分からなかったが楽しめた。
本日は、拙作を見にきてくれた元Aゼミの同志で北京に語学留学中のOさん(謝謝!)を交えて、深夜まで楽しく皆で飲みながら歓談。