a)『鳳鳴 ― 中国の記憶』(ワン・ビン)△
この作品についてはid:hj3s-kzu:20071005で述べた通りだが、見直していくつか気づいた点がある。まずこの老女に「被写体としての魅力がない」と書いたのは言い過ぎで、映像的に変化に乏しい(DVの引き画で撮られていて、しかもフォーカスが甘いのがそれに拍車をかけている)反面、画面から聞こえてくる彼女の「声」は実に表情豊かで魅力的である。また二回挿入される彼女の座っている位置からの切り返しである窓のショットは、例の日没によって画面が暗くなるショットの間に一回、一通り回想が終わって、彼女が事件の三十年後に夫の墓を成人した息子とともに訪ねにいったエピソードを語り出す直前に、翌朝のショットとしてもう一回、挿入される。前者が語りの途中で挟まれることによって、一層、室内の暗さが印象づけられるのだが、やはりこの編集には作為が感じられる。見直して改めて思ったが、やはりこの作品には「労働」が欠けている。なお「自分自身に語りかけるように話すわね」という彼女の第一声は「オフ」ではなく「オン」であるので注意。
満員の会場で講演の始まるのを待っていたら隣の席の人に声をかけられ、振り向くとNさんだったのには吃驚。再会を喜びつつ、帰りにいつものメンバーを交え呑み。