人のセックスを笑うな

a)『孝子五郎正宗('15)』(吉野二郎)○
b)『良弁杉('22)』(中川紫郎)△
c)『男の顔は切り札』(マキノ雅弘)○
d)『アストレとセラドンの恋』(エリック・ロメール)◎
e)『人のセックスを笑うな』(井口奈己)○
ひさびさに朝から晩まで映画漬け。
(追記)この後、友人たちと『人セク』についてメールで意見交換したのだが、きちんとした作品評を今後も書くつもりがないので、参考までにそこで述べたポイントを以下に整理する。なおメールを交わした友人のうちには佐藤央くんがいて、議論の出発点として、彼の書いた『人セク』評(http://gojogojo.com/sato/sato2_2.html)があるので、そちらも参照のこと。この作品について考えるきっかけをつくってくれた彼には感謝したい。
○ ほとんど駄洒落なのだが、井口奈己の作品の貴重さとはそれが「並」であることである。この「並」をスタジオ・システム崩壊後の現代日本で達成することはなかなか困難なことである。なので一部で誤解されているように『人セク』を「天才監督」の撮った「傑作」とみなすことは決定的に誤りである。
○ この映画では永作博美のダルな佇まい(特に下着だけの後ろ姿)がよい(前半、帰宅してパンスト姿で椅子にものうげにもたれてラジオから流れるポップス―この曲も名曲だと思う―に耳を傾ける一人だけの長いショットは実に素晴らしい)。前半の魅力が彼女に負っていることが大きいだけに、後半、彼女から蒼井優に物語がシフトしてからがかなり退屈に感じられた。実際、ギャラリーの永作を蒼井が訪ねた場面以降、どのショットで終わってもおかしくないように思われ、見ていて上映時間が長く感じられた。実際、二時間以内にまとめたらもっと良くなったと思う。
○ 評判のキスシーンだが、確かにヘイズコード期以後の映画が忘れてしまったキスシーンの魅力を再発見させてくれた功績は認めるものの(もっともその描写は明らかに「以後」のものであり、この点に新しさを認めることができるかもしれない)、記憶にある限り、都合たしか四回ほどあるそのシーンのうち、初めの三回のキスの音響処理があまりに粗雑で官能とは程遠いところが残念。ただし最後のキスの音響は永作の台詞に「キスもうまくなったね」というのがある通り、見事なものである。深読みすれば、この音響処理の変化によって、松ケンのキスの上達を示す演出がなされている可能性もなきにしもあらずだが、だとしたら少しあざとい。*1
○ ちなみにこの「キスもうまくなったね」の「も」の使い方とか、前半のやはり永作の「背中痛くなかった?」という台詞にみられるさりげない性的な含みの表現は実に見事だと思う(前者ではセックス「も」うまくなったこと、後者では女性上位での性交(=この関係において彼女がイニシアチブを握っている)がほのめかされていることは言うまでもない)。ここまで上手い台詞には近年お目にかかったことがない。
○ また頻出する例のキャメラ位置だが、あそこでのポイントは「縦」であることではなく「正面」であるところにあると思われる。というのも、前景と後景とで二つのアクションが起こって、両者の間になんらかの「交通」があるという使われ方がこの作品でそれほどなされているわけではないからだ(この点、映画館のロビーでの永作+松ケン/蒼井+客の縦構図の使い方は例外的)。またこのキャメラ位置は「何かが起こりそうな位置」に置かれているというよりは、「起きている出来事が一番見やすい位置」に置かれていると思う。ただしここが逆説的なのだが、おそらくこの作品では、構図から逆算されてアクションが振付けられているはずで、もしこの観察が正しければ、この後者の位置の選択で実際に起きている事態は逆である。キャメラが自己主張しすぎているという私が受けた印象も「初めに構図ありき」というこのスタンスから来るものだと思う(ついでにいうと、もしこのキャメラワークでリュミエールを引き合いに出すとしたら『列車の到着』よりは『工場の出口』に近い)。ただこれは個人的な印象に過ぎないのだが、こうした「美学」は八十年代後半から九十年代前半にかけてのもののように思われる。『犬猫』を初めて見た時にも感じたことだが、何か「新しいもの」というよりは何か既視感を伴った「懐かしいもの」を見ているような気がした。もっともこのことで両作品の価値を貶めるつもりはない。
○ また「正面」の他に「斜め」のアングルというのが時たま使われるのだが、両者の使い分けにそれほど演出的に配慮がなされているようには思われなかった。例えば、後半、ファミレスのシーンで永作と蒼井の切り返しが「正面」(主観)と「斜め」(客観)で使い分けられているようにも見受けられたが、それほど効果的ではない。
○ またこれもあくまで個人的な好みの問題に過ぎないのだが、悪意などどこにも存在していないかのような微温的な世界(いうなれば、対立というものが、結局は個々人の趣味の問題に回収されるような世界)を、「リアリズム」というよりは「ナチュラリズム」を土台とした演出で表現した両作品を、そこでの映画的達成を高く評価はするものの、やはり最終的には全面的に肯定する気にはなれない(とはいうものの割と好き)。
○ 最後に蛇足だが、蒼井優の金切り声はどうも映画的に美しいとは思えない。しかしこれもまた好みの問題だろう。

*1:なお余談だが、ロメールの新作も「キス」の映画であり、これが倒錯的かつ実に素晴らしい。