きつね大回転

冬の日の澄んだ光の中、一組の男女が神社の境内で奇妙なやりとりをしている。「きつね」を捕らえるために女が油揚げを餌に罠を仕掛けようとするのだが、男は生肉の方がよいと言うのだ。この二者択一で問題になっているのは、ある対象についてのフィクションと現実認識とのズレである。すなわち、きつねは油揚げを好む、という民間伝承に対し、肉食動物としてのきつねが現実に好むのは生肉なのではないか、という問いが投げかけられているのだ。では、この物語の中ではどちらの罠に「きつね」がかかるだろうか。フィクションの力を強く信じているこの映画作家が選択するのは、もちろん油揚げの方である。現実がどうあれ、自分の作品世界にあっては、きつねが好むのは油揚げであって、決して生肉などではない、彼女はそう宣言する。この作品を冒頭からここまで見ながら、そこに登場していたまさに死屍累々といった感じの犠牲者たちの姿にどこか居心地の悪い思いを感じていた私たちは、地面にぺたりと腰をつけた和服姿の美しい女が、足袋を血で染めながら、油揚げを手にこちらを振り返るショットを目にすると同時に、ここでの主人公の男のようにあっさりと武装解除して、この映画の語り=騙りに誑かされてみようと心を決める。
この作品の基本的な枠組みは、三角関係を巡る恋愛コメディのそれだが、その第三項に「女狐」を配したところに、この映画の独創性がある。もちろん、「葛の葉」を原作とした『恋や恋なすな恋』(内田吐夢)のように、人間と女狐の異類婚をテーマとした映画は他にもあるだろうが、それがこの『きつね大回転』のように恋愛コメディの題材になり得ると思いついた作家はあまりいないだろう。この女狐の出現によって、どこかトボけた恋愛コメディが始まるかにみえるのだが、たった22分の上映時間の中で、この映画作家はそれをさらに捻ってみせる(つまり「回転」、あるいはさらに捻って「転回」)。相棒の男が本来の「きつね退治」という仕事そっちのけで女狐に翻弄されるのを横目で見ながら、うじうじと一人ホテルの一室で不貞寝をしている女主人公は、掃除婦の決定的な一言によって(掃除婦役の笹田留美の横顔を捉えたこのショットは素晴らしい)、それまで無意識の内にたゆたっていた男への愛をはっきりと自覚し、まさにヒロインという名に相応しい、誇り高き存在へと変貌していくことになるだろう。そこから先の怒濤の「転回」を、つまりこのサスペンスフルな愛のゆくえを、私たちは固唾を呑んで見守るしかないのだ。
ところで、そもそもの発端の、「きつね退治」を二人に依頼した、あの「手紙」はいったい誰が出したものなのだろうか。ことによったらそれは、愛という底なしの堂々巡りの虜囚となったヒロインが、時空を超えて現在に宛てた遭難信号だったのかもしれない(この点、彼女に「文子」という名がつけられているのは興味深い)。手紙は必ず届く、ただし「反転」されたかたちで。片桐絵梨子にとって、手紙とは反転された愛を作動させるための装置である。
詳しくはこちら http://d.hatena.ne.jp/momomatsuri/

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a)『君と別れて』(成瀬巳喜男)◎
b)『夜ごとの夢』(成瀬巳喜男)◎
それじゃ大阪に行ってきまーす。