a)『南の誘惑』(デトレフ・ジールク)◎
b)『アパッチの怒り』(ダグラス・サーク)◎
アメリカ映画史における二大敵役といえばインディアンとドイツ軍なわけだが、ダグラス・サークはその両方を内側から描いたおそらく唯一の映画作家ではあるまいか(もちろん片方だけ撮った人なら他にもいる)*1。「敵」を表象する時、人はしばしばステレオタイプに陥るものだが、サークはその「敵」の内側に身を置いてみることで、実はそれらが決して一枚岩ではないこと、そこには様々な立場の人間がいて複雑な力関係が渦巻いていることを繊細に描き分けてみせる(もちろんそこには限界もあるのだが)。*2で『アパッチの怒り』は「メロドラマ作家サーク」という紋切り型の見直しを迫るような素晴らしい西部劇であった。私たちもサークのようにステレオタイプを避け、差異に対して敏感でありたいものである。
(追記)なおアメリカ映画ではインディアンやドイツ人が(あるいは他国人でも)流暢な英語を話す(この原則はサークにおいても変わらない)。アメリカ映画なのだから当たり前といえば当たり前かもしれないが、でも実はかなり異常なことである(これはアメリカ映画を見る世界中の人間が「潜在的なアメリカ人」と見なされている証左かもしれない)。なお日本で堂々と同じことをやったのが40年代のマキノである(id:hj3s-kzu:20041005)。

*1:例えば『アパッチ』(アルドリッチ)や『戦争のはらわた』(ペキンパー)。なお『アパッチ』についてはid:hj3s-kzu:20040221を参照のこと。またそこで扱われている問題についてはid:hj3s-kzu:20040211をあわせて参照のこと。

*2:物語自体はそれがどのような人種を扱おうとも大筋においては他のアメリカ映画(とその変種である様々な国の映画)と同型である。例えば『アパッチの怒り』は東映任侠映画の「跡目相続もの」と物語の構造自体はそれほど変わらない。