a)『土星神』(ジャン=シャルル・フィトゥッシ)△
b)『私は死んでいない』(ジャン=シャルル・フィトゥッシ)◎
c)『日本の時』(ジャン=シャルル・フィトゥッシ)×
昨日の『私が存在しない日々』を見た時にも思ったのだが、近年のフランスの若手の作品(フランス映画祭やカイエ週間などで見た限りの)のルックはどうしてこうも似通ってしまうのだろうかと『土星神』を見た時にも感じた(これは撮影部と役者の問題だと思われるが、暫定的な結論として要するにFEMISが悪いということにしておく)。*1もっともフィトゥッシの場合はバカすれすれのユーモアと知性とがほどよくブレンドされているので、ありがちな「作家主義的」フランス映画の退屈さを免れているのだが、『土星神』はその点あまり上手くいっていない気がする(特に俳優の演技)。『私は死んでいない』も最初の三十分くらいはまたかと思い、あまり期待していなかったのだが、物語が進むにつれ、凄いショットのてんこ盛りでかなりやられた(しかもあの規模の予算の35ミリでそこまでやるか!)。『日本の時』は西欧人が日本を撮るとどうしていつもこうなるかね…とがっかり。私は別にナショナリストではないし、むしろその真逆だと思うのだが、それでもあの「出来事」の扱われ方はいかがなものかと思う。
(追記)ル・モンドのロカルノ映画祭についての記事でジャック・マンデルボームが『私は死んでいない』を称賛していた。
http://www.lemonde.fr/culture/article/2008/08/14/baroque-francais-a-locarno_1083680_3246.html

*1:この点においては、個人的には全く好きな作家ではないのだが、やはり近年のデプレシャンは闘っていると思う。