a)『刑事物語』(モーリス・ピアラ)◎
b)『マイエルリンクからサラエヴォへ』(マックス・オフュルス)◎
c)『海の沈黙』(ジャン=ピエール・メルヴィル)◎
傑作じゃないの、『刑事物語』!冒頭の取調室のシーンのドパルデューとアラブ人(ふてぶてしい面構えが素晴らしい)とのやりとりをほぼバストサイズの二人の切り返しだけで撮りきっていて、しかも最初は意図的なイマジナリーライン外しで始まり、ライン跨いでドバルデューの逆サイドにキャメラ位置が替わり(ここでライン一致)、ドバルデューがキレてアラブ人の所に歩み寄り彼の頭を押さえる処でキャメラがアラブ人の背後に移って少しだけ広めの画面になり、彼の頭がテーブルに叩き付けられる瞬間にさらにキャメラ位置がドンデン返しになるという呼吸が実にお見事(しかもこの最後のショットではドパルデューに左上から抑えつけられるようにアラブ人が右下の隅に窮屈に縮こまっていて、このシーンにおける両者の力関係の非対称性が視覚的にも的確に表現されている)。『裸の幼年時代』や『ルル』や『ヴァン・ゴッホ』を見てもいまいちピンと来たことがなく、むしろ嫌いな映画作家の部類に入っていたピアラだったのだが、この作品ばかりは認めざるを得ない(おみそれしました)。この作品がビデオ化されていたのは昔から知ってはいたものの、『ソフィー・マルソー刑事物語』という何ともなタイトルに食指が動かず今日まで未見だったのだが、スクリーンで見られて本当に良かった。ついでに言うと『ラ・ブーム』がヒットしたせいで、私がローティーンだった頃、フランスのアイドル女優といえばソフィー・マルソーだったわけだが、当時全くこの女優に惹かれるところがなくて今日に至るのだけれど、本日ようやくこの女優の魅力に開眼。そのぐらいこの作品のソフィー・マルソーは魅力的で、例えて言うなら『赤線地帯』の若尾文子のように素晴らしいと言ったら褒め過ぎか。この作品について蓮實重彦が『映画に目が眩んで』で褒めていたようなうろ覚えの記憶があったので調べてみたら、実は真逆で『チャオ・パンタン』(クロード・ベリ)についての批評でついでに数行触れられているに過ぎず、未見のこの作品について「映画作家には、犯罪映画の撮れる人と撮れない人がいて、ピアラは間違いなく後者に属する」と述べていたのだった(217頁)。もっともその後に述べられている「犯罪映画」の定義をきちんと読んでいくなら、この断言はきわめて納得いくもので、『刑事物語』はそこでいくつかの犯罪が描かれているにもかかわらず、彼の言う意味ではいささかも「犯罪映画」ではないのだが、とはいえそうした欠点(?)を補って余りある素晴らしい魅力に溢れた作品であることは保証する。*1
さらにこの作品で思い出すのは、十年ほど前に『TOCHKA』の松村浩行と雑談をしていた折に、何かの拍子で私がピアラは嫌いだと言ったら、いや『刑事物語』はいいと彼が言ったことである。その時はふうんと思い、そのまま見ずにおいてしまったのだが、松村くん、君は正しかった!
刑事物語』があまりに素晴らしかったので、ついついお喋りが長くなってしまったが、駄弁ついでにもう一言。今回の特集上映の裏テーマが「占領期」であることはすでに方々で言われているのだが、何年か前に、東京日仏学院でそのものズバリ「占領下のフランス映画」特集*2というのが組まれていて、今回のオフュルスの作品もその時に初めて見ることできたのだが(改めて日仏のプログラミングの素晴らしさには敬服する)、その特集で上映されたアベル・ガンスの『失楽園』(同名の三文小説とは何の関係もない)が本当に素晴らしいメロドラマだったので(主題歌が今でも耳から離れません)、今後「秘宝」第二弾があったらぜひ入れて欲しいものです。

*1:グザヴィエ・ボーヴォワは『若き警官』でピアラをやりたかったんだなと今さらながら気づいた。あとドパルデュー、職権乱用しすぎ。

*2:特集タイトルは若干違っていたかも。確かジャン=ミシェル・フロドンの『映画と国民国家』の翻訳出版に合わせた企画だったような気がする。