映画美学校フィクション・コース初等科修了製作実習作品発表会

a)『イザベルの誘惑』(ジャック・ドワイヨン)◎
b)『15才の少女』(ジャック・ドワイヨン)◎
c)フィクション・コース初等科2007年修了作品より
『迷子ではない、冒険しているんだ。』×
『楽園』×
『ラクシュ』×
『産道』△
『さらばゲームセンター』×
『冥土星』×
『牛乳王子』×
d)『若きウェルテル』(ジャック・ドワイヨン)◎
ドワイヨンの合間を縫ってB学校の修了作品展へ(嗚呼、母校愛)。どうも現在のフォーマット(15分の短編×6本+α)になってから、面白い作品が減ったような気がするのだが杞憂だろうか。どの作品も「野心」か「知性」か「基礎体力」のうちのいずれか、あるいはどれもが欠けている。『迷子ではない、冒険しているんだ。』はタイトルに偽りあり。映画的な冒険が感じられない。こうしたハチャメチャを映画として成立させるためには、この作品にも出演している『out of our tree』の作家にあったような「知性」と「基礎体力」が必要である。また技術部はもう少し丁寧な仕事をするべき。『楽園』は脚本レベルで姉と弟の近親相姦的な愛情にもう一歩踏み込んでみてもよかったのではなかろうか。もうひねり欲しいところ。また撮影は割とちゃんとしているのだが、演出レベルで姉と弟の住む部屋の描き分けがなされていないので、室内の空間構造が今イチ把握しづらい。あと「蝉の声」みたいな思わせぶりな象徴は何かを表現しているようで結局何も表現していないと思う。『ラクシュ』はヒロインの造形に難があるのでは。いくら生前自分の親しかった人の家であったとしても、ああいうふうにズカズカと他人の家に上がり込んで自分の感情をぶちまけるだけは、例えそれが善意に基づくものであれ(逆にそうであるからこそ)、単なるバカ女にしか見えない。最後にいい話で終わらせようとするのも何か閉じている気がする。それは結局、ヒロインの自己満足に過ぎず、他者が欠けているということではなかろうか。この作者に必要だったのはヒロインに対する批評的な距離だったのでは。『産道』は最初にあらすじだけ読んだら、また「子宮感覚もの」かと思い、あまり期待せずに見たのだが、それは誤解でワンカット目からオッと引き込まれた。ただし一番大事なシーンであるはずのヒロインと狂女との対話シーンが粗雑に撮られているのが残念。ここは手持ちではなく、キャメラをきちんと三脚に据えて、しかも事前に綿密なカット割をすべきところだったのではなかろうか。切り返しだけでももっと緊迫感が出せるはず(とはいえ実はこういう単純な技法こそ一番難しかったりするのだが)。また何故かこのシーンだけ音処理が雑で台詞が聞き取りにくいのでアフレコで録り直した方が完成度はあがると思う(状況音も中途半端に聞こえているので二人のいる場所の密室感が削がれている)。あと狂女の頭の中のイメージが一瞬、妊婦に伝達されてしまうというアイデア自体は悪くないのだが、伝達されるべきイメージの画づくりがステレオタイプな気がする(でここが最大の欠点)。とはいえ今回の作品中、唯一「知性」が感じられた。『さらばゲームセンター』はもう少しゲームセンターという空間を映画的に活かしたアクションを考えるべきだったのではなかろうか(脚本、演出ともに)。『冥土星』と『牛乳王子』を見た時には、ついにB学校もここまできたかと思った(もちろん悪い意味で)。これらの作品に見られるのはエロとグロのインフレーションである。『冥土星』については何も言う気が起きないが、あえて言うなら、もしあのラストシーンを見せたかったのなら、怪獣が消滅した後の世界で登場人物たちがどうなるのかまで見せて欲しかった。『牛乳王子』にはある種、自分のやっていることに対する批評的な距離のようなものが脚本レベルで垣間見え、そこが救いではある。とはいえ二作品とも作者のファンタズム(AV的エロスと残虐ホラーを糧とする)がスクリーンに投影されているような作品だが、映画において最も退屈なことはまさに他人のファンタズムを見せられることであるという一点を作者は忘れるべきではないだろう。とはいえ『牛乳王子』のゾンビ女子高生たちが歌い出す瞬間は一瞬オッと思わされたが、最後は主人公の自己承認をめぐる物語に回収されてしまうので(たとえラストのアクションでそれがネガティヴに反転されたとしても)、結局、自分の身の回りの半径数メートル以内の箱庭的な世界観の反映でしかなく、退屈。主人公のキチガイ描写もステレオタイプな気がする(編集と音楽がさらにその印象を強めている)。とはいえ作品に勢いがあるのは取り柄か。またラストショットのポン引きに見られるように画面に対する感性はあるのかもしれない。
以上を見終わって、映画を撮るにはよい映画を見るだけじゃなくて、よい書物を読むことも大切じゃなかろうか、とふと思った。心当たりのある方はさしあたり「必読書150」(太田出版)に挙げられているような古典を読むことを強く薦める(まあ数えたら自分もそのうちの三割ちょっとしか読んでないけど)。

必読書150

必読書150