a)『ガリンシャ』(ジョアキン・ペドロ・デ・アンドラーデ)×
b)『シネマ・ノーヴォ』(ジョアキン・ペドロ・デ・アンドラーデ)×
c)『愛された人』(アルノー・デプレシャン)△
アンドラーデの退屈さに死にそうになった後(まあマリア・ベターニャとグラウベル・ローシャが見られたのでいいけど)、日仏に移動。やはり前回同様、長蛇の列で『クリスマス・ストーリー』は完売(絶句)。ドキュの方の『愛された人』はデプレシャン作品にしては対象との距離の設定が適切で(いつもはレンズの選択間違えまくっているのに)*1、おっ、久々に期待大?、と思いきや、『めまい』(ヒッチコック)のまねっこみたいなシーン(キム・ノヴァクジェームズ・スチュワートが車で尾行し、さらにホテルの部屋の窓を外から眺めるというくだり)*2が出て来てガックリし、やっぱ自分にとってはデプレシャンはどーでもいい作家だわ、という結論に達する。ホント、カラックスさえいればいいよ。*3こんなことならジョニー・トー見ればよかった。それにしても、どうしてデプレシャンだけこんなに人気があるのか私には不可解。テデスキとか見ずに、デプレシャンだけ見に来るような人は自分のことシネフィルって呼んじゃ駄目だからね、そこんとこよろしく。
この前の京都以来久々に会ったNくんと帰りにドトールへ。閉店まで二人で熱いトークをかわす(しゃべりまくったのでホントに汗だくになった)。話題は主に今の二十代、三十代の若手監督が作る映画(商業、自主を問わず)の話になる。結論としては、映画を「自分探し」に使うんじゃねー、とか、表現の出発点で「わたし」というものに×をつけることから始めなかった奴は駄目、とか、どうせ撮るんならグローバルスタンダードを見据えようよ、とか、スタッフ・キャストにおんぶにだっこじゃなく監督なら少しは自分の頭で考えろよ、とかそういうこと。なかなか有意義であった。

*1:クレジットを見たら撮影はシャンプティエだった、どうりで。

*2:ちなみに『めまい』のこのシーンが、バーナード・ハーマンの音楽と相まって官能的なのは、もちろんあの起伏に富んださ地形のサンフランシスコの道路を主人公たちの車が走っているからで(もちろん編集も素晴らしい)、デプレシャンみたいにフランスの片田舎の平板な道をただ延々と撮っても面白くも何ともない。

*3:ちなみにカラックスのデビューが1983年、デプレシャンのデビューが1991年なので、カラックスの方がデプレシャンより一世代上だと誤解されやすいが、実は二人とも1960年生まれ。