法政映画祭のまとめ

本日は深夜仕事あけで一睡もせずに、法政映画祭で佐藤央くん、三宅唱くんとともにゲスト審査員を務める。正午に集合し、19時まで、若干の休憩を挟み、6本の中短編をぶっ通しで見る。この企画の面白いところは、各作品を観賞後、ゲストを中心に各班に分かれて、観客(大半は映画サークルの学生)とともに今見たばかりの作品について二十分ほど討議し、それを発表するところ。始まるまではそんなに話すことあるかいなと思っていたが、実際にやってみたら、いろんな意見が出て面白かった。佐藤くん、三宅くんが真面目なコメントをしていたので、こちらはオッサンの特権を活かしつつ緩いコメントを(高田純次モード)。個々の作品についての論評はその場で話したのでここでは省くが、全体的に思ったのは(たぶんこれは法政に限らず言えることだと思うのだが)、「歴史」に対する意識が低いことである。「映画」と呼ばれているものには百年以上の蓄積があるので(これを多いとみるか少ないとみるかはともかく)、もし作品を撮ろうと思うのだったら、それは意識した方がいいと思う。今、映画館でかかっている作品だけが「映画」じゃないし、他に見るべきものはゴマンとある。*1ましてや、テレビドラマだけ見ていては「映画」なんか撮れない。普段、ドラマとか見ないので、これは当てずっぽうなのだが、例えば登場人物が考えていることを全て台詞で言わせてしまう、というような馬鹿げたことはテレビの影響なのだろうか。もしちゃんと「映画」を見ていたら、こうしたことは起こらなかったと思う。台詞で言わなくても、視線、身振りなどで伝わることというのは沢山ある。どうも皆、研究が足りない。映画における努力とは過去の優れた作品を研究することだ。佐藤くん、三宅くんだって毎日それをやっている。また殴る、蹴る、走るといった基本的な所作は本気で(少なくともそう見えるように)やらないと見ている方はシラケてしまうので注意(『M:i:III』のトム・クルーズの走りを見よ!)とはいうものの、いくつか興味深い作品はあった。審査する時に、観客賞(討論会賞)で選ばれた作品はグランプリから外そうと決めていたので(なるべく多様な作品を顕彰したかったため)、それに該当した二作品は惜しくもグランプリから洩れたが(この点、観客は極めて正しい審美眼を持っていたといえる)、審査員三人がそれぞれ推す三本を挙げた際に、全員一致で推したのはこの二作品であったことは述べておきたい。『サミットへの道すがら』(進士靖悦)は素晴らしいショットがいくつかあったし、何よりも作者の中にある撮ることの必然性が作品自体を支えている点が他の作品に対して際立っていた。ただシーンの排列の仕方に再考の余地あり。『DOTEI OF THE DEAD』(大和田智史)はゾンビ映画のパロディだが、「日常系」の作品の多かったなかでその活劇志向は極めて貴重に思われた。また映画祭の司会を務めた野原くんがマイケル・J・フォックスばりの活躍をするのが可笑しかった。ただ「DVU」の中山くんも指摘していた通り、ゾンビのメーキャップをマスクでごまかしていた点がいただけない。これらを除く一本で佐藤くん、三宅くんと私の間で意見が割れ、多数決でグランプリが選ばれた。新人への励ましという意味でも正しい選択だったと思う。グランプリの『本当にする』(不破啓祐)はいくつか良いショットがあった。天候やロケ場所の空間を上手く取り入れている点が評価できる。ただシナリオをもっと練った方がよい(これは他の作品についても言える)。私が個人的に推した『よりみち風来坊』(中野大輝/福永洋一)を審査員特別賞にさせてもらったが、このオフビートな笑いは評価したい。ただいくつか演出的に失敗しているのが惜しい。なお前日に観客投票で新人賞に選ばれた『融点』(赤毛知歩)が審査発表前に上映されたが、個人的には今日上映された作品の中では一番面白かった。閉め切った部屋の中で雀卓を囲んだ上半身裸の男たちが、その傍らにいる女たちに砕いたジェリービーンを身体に塗りたくられるのだが、その奇妙な触感性というのは他の作品にはなかったものである。その感じが8mmフィルム特有のザラついた肌触りに奇妙にマッチしていて忘れ難い印象を残した。
帰りに打ち上げ。Nくんはいつもながらの大フィーバーで「女の敵」と化していた。昨日から寝てなくてさすがに疲れたので、若者たちを残して終電で帰る。
(追記)配布されたパンフレットに記された作品データを見ながら、タイトルと一、二行の作品紹介を手がかりにどの作品が面白いか、見る前に予想を立てたのだが、ほぼ九割がた的中した。こういうものは映画の「顔」なので作り手はもっと気を使った方がいいと思う。

*1:これに関してはid:hj3s-kzu:20050830が参考になるかも。