棄権とは権利の放棄である

選挙の時に棄権するのは、債券を持っていても請求しないのと同じく、権利の上に眠る行為である。棄権するのも権利の行使だという人もいるが、これはとんでもない誤解である。言うまでもないことだが、選挙は投票した人だけがカウントされる。候補者や政党、さらに今の政治に言いたい人がある人の意見も、投票に行かなかったらまったく無視される。棄権する人が多ければ、たとえば投票者が全有権者の半分しかいないということも起こる。実際、一九九五年の参議院選挙では、投票率が五○%を割った。地方選挙では、投票率が半分にも達しないことは頻繁に起こっている。投じられた票を複数の候補が争うわけだから、一位の得票をした当選者が、全体の有権者の三分の一、四分の一の支持しか得ていないということも頻繁に起こる。下手をすると、棄権した人が最大多数派で、当選者への支持はそれより少ない、ということも起こる。しかし、棄権した人はその少数派にすべての決定権を任せたことになる。つまり棄権は、相対的な多数派(絶対数では少数派かもしれない)に、政治的な決定について白紙委任をしたことになるわけである。選ばれた政治家が自分の考えと違うことをしても、棄権した人は文句を言えない。自分の考えにより近い候補者や政党を選ぶ機会があったにもかかわらず、その機会を自ら放棄したからである。

山口二郎『若者のための政治マニュアル』

若者のための政治マニュアル (講談社現代新書)

若者のための政治マニュアル (講談社現代新書)

a)『シチョールス』(アレクサンドル・ドヴジェンコ)◎