映画美学校映画祭2009 その3

映画美学校映画祭2009より。
『臨月』(難波阿丹)×
『「僕の、サイズ。」』(今岡陽子)×
『家、波』(須永恵介)×
『選挙ね!』(名執泰輔)△
ニジェール暮らし』(守舞子)×
『空中庭園』(外山弥呂)×
『片在』(岩井秀世)×
『ハーモニクス』(榎本至)△
『ひかり』(木村昌資)×
『憧れの人』(玉川直人)△
昨日、朝までコースだったので、一、二時間ほど仮眠してから、朝イチで日仏の『創造者』(ヴァルダ)を見て、そのボンクラ映画っぷりにある意味衝撃を受け(丘の上の一軒家に住むマッドサイエンティストが『第七の封印』(ベルイマン)を思わせるボードゲームで村の人々を操縦し、ラストはそのゲームで主人公のミシェル・ピコリと一騎打ちをする)、その足で映画美学校映画祭へ(なので最初の『教育刑事』(内藤瑛亮)は見逃した)。
当初アナウンスされていた『花月』が間に合わなかったとのことで、差し替えになった同じ作者の『臨月』を途中から見る。この作品についての感想は以前書いた(id:hj3s-kzu:20070913)。
『「僕の、サイズ。」』は、ワンアイデアだけなので中盤ダレる。ラストも予定調和的で再考の余地あり。ところで、別れた同棲相手が自分の食器を持ち帰るためにアパートに戻るシーンがあるのだが、普通の手提げバッグにそのまま次々と入れていて、帰りに歩いているうちにヒビが入ったり、割れたりしないだろうかと見ながら余計な心配をしてしまった。ああいう場合は新聞紙とかタオルに包んだりしないのだろうか。
『家、波』は、たぶんデュラスとかゴダールみたいな映画を撮りたかったんではないかと思うが、よっぽどセンスのある人じゃないとこういう試みは必ず失敗するので止めた方がいいと思う。あと登場人物が多くの場合、逆光の引き画で捉えられているが、顔がよく見えないし、意図的に人物から人称性を奪う演出のようにも思えず中途半端な感じになっているので、もっと画づくりは丁寧に。
『選挙ね!』は、同じ作者の『一緒にネ!』の続編だが、ゲイ・アクティヴィストのカップルの日常を描いた前作ではそれほど前面に打ち出されていなかった政治性が、今作では前景化され、カップルの一方が区議会選に出馬し、二人が選挙戦を闘う姿を描いており、なかなか見応えのあるものになっている。個人的には主人公のキャラに頼りっきりの『選挙』(想田和弘)のような映画よりもよっぽどこちらの方が面白かった。あとこれを見ると前回の都知事選で浅野史郎が負けた理由がよくわかる(と書いても慎太郎を支持しているわけではない)。だって浅野って、何も考えてないんだもん。
ニジェール暮らし』は、世界最貧国のニジェール青年海外協力隊で派遣された作者が現地の隊員たちと住民の日常生活を記録したもので、それなりに興味深いものになってはいるが(なにせアフリカでの日常生活が描かれているわけだから)、テーマを絞り切れていない上に、一時間という尺の中に数人の登場人物が出てきて、彼女たちの生活を均等に描こうとしているために、実に表層的なところで終わっている。冒頭の渋谷の人混みの光景のモンタージュに被さる現代日本社会に関するコメントの内容は一昔前のNHKの番組を思わせるクリシェに満ちていて、この作者の目の前の現実を捉える能力に大いに疑問を抱かせる(キツい言い方をすれば、自分の国の現実認識がこの程度なら、その善意は疑い得ないものであれ、海外に行ってもその土地の問題点を上っ面なところでしか認識しえないのではないかと言うこと)。実際、作者は隊員たちの愚痴を記録することで、問題の在処には気づいているが、さらにその先まで進もうとはしていない。その結果、滞在記的なテレビ番組にありがちなホノボノとした無難なものに仕上がっており、その意味ではそれなりに楽しめるのだが、それ以上のものではない。
『空中庭園』は、洗濯バサミで吊るされた毛のふさふさした子犬のショットに見られるように、作者のヘンなユーモア感覚が感じられ、実に興味深いのだが、惜しむらくは作者がその自分のセンスに対してあまり自覚的でないのか、そこまで十全にそれが展開されていないのが実に残念。ただ個人的には好感が持てたことは確か。
『片在』は、確か男女が室内でピンポンのようなものを投げ合うシーンがあったように思うのだが、それ以外は全く私の記憶を素通りしてしまった。おそらく引っかかる細部が何もなかったからだと思われる(寝ていたわけではない)。
『ハーモニクス』は、二人の男女が出会い、同棲し、別れる手前までの長さの時間をたった十分の尺で描いていて、その意味ではかなり野心的だし、「定額給付金」+αの予算の枠内で撮ったという姿勢も自主映画のあり方としてかなり共感の持てるところではある。最初に男女がアパートの階段の上下で見つめ合う切り返しの後に、窓際で男のTシャツを着た女が洗濯物を干しているショットを繋げる省略の上手さには実に唸らされたが、そのショットの直後にやはり同じTシャツを着た男が岡持(男は中華料理でバイトしており、女と出会ったのも出前の途中である)を持って歩いている後ろ姿のロングを繋げるので、一瞬混乱させられた(ここは出会いの場で女にも別のTシャツを着せて、二人の衣装を交換させたら、もっとわかりやすくなったのではないか)。同棲後、二人が初めて同時に画面に収まるショットで中心に卓上レコードプレイヤーを据え、読書する女と寝転がる男を左右に配した構図は良いし、ここで男の怠惰さが後の物語展開を予想させる演出も上手いと思うのだが、男の表情が薄暗くてわからず、それまでにはっきりと二人が一緒に住んでいるというショットがなかっただけに、やはりここで寝ているのが前のシーンで私たちが目にした男と同一人物であることをハッキリと観客に念を押す意味でも、ここは男の顔をキチンと見ることができるような照明の配慮が必要だったように思う。とはいえ、前半で男が岡持を持って川沿いを歩くロングショットをそのまま女を使って反復させるといった細部はやはり上手い。ただ全体的に地味な印象を受けるので、もう少しパンチの効いたショットがいくつかあるともっと優れた作品になると思う。
『ひかり』に関しては、特に言うことはない。無戦略に撮って、無戦略に繋げても映画になるわけではない。
『憧れの人』は、キャスティングが的確だし、技術面でもキチンとしている印象があったので前半はかなり期待させられた。ただ後半、東美伽が夫に暴力を振るわれた後の展開に不備があるので惜しい結果となった(逆に言えば、後半を直せばもっと良くなると思う)。例えば、彼女が夫を浴室に閉じ込めた後のシーンで、二人で食後に歓談している様子をおそらく即興的な演技でごく日常的な感じで演じさせているのは、その後のシーンでの彼女の行動から判断しても、そぐわないものである。また弟の恋人に兄が手を出すことを予感させるシーンでキャメラは二人を結ぶ軸に対してほぼ直交する軸でややはなれた距離から二人の芝居を収めているが、ここで二人を結ぶ軸上でのショットがインサートされていたらもっとわかりやすくなったと思うし(例えば、兄なめの女の後ろ姿のショット、あるいは手前の女なめで彼女を見つめている兄のショット、あるいはその二つの切り返し(冗長な気はするが)、または男の見た目で女の後ろ姿と男の顔の切り返しなど)、また二人が関係を結んでしまったことを暗示するための表現だと思うのだが、女が自分の衣服のボタンを留めている演技が、兄が去った後、弟が帰宅したシーンでなされるのも説明のための描写に終わっているし、時間経過を考えるとやや不可解(なぜ女はそれまでに身繕いをしなかったのだろうか)。こうした細部での不満はあるものの個人的にはなかなか面白かった。
再び日仏に戻って『ドキュメントする人』(ヴァルダ)を見たかったので、残念ながら最後の『見知らぬ恋人』(川邊崇広)は見られなかった。とはいえ、睡魔のために何度も気を失いながらヴァルダを見たので、こんなことならそのまま京橋にいればよかったかも。さらにそれから京橋に戻って、映画祭帰りの人たち(主に傑力珍怪チーム)と朝までコース。
今年の映画美学校映画祭はたった三日で、しかも初日は講師の作品だけだったわけだから、実質、二日ということになり、年々、作品数が少なくなっているのが実に寂しい。来年はもっと多くの作品が集まることを期待する。
a)『創造物』(アニエス・ヴァルダ)△
b)『女性たちの返事』(アニエス・ヴァルダ)△
c)『ドキュメントする人』(アニエス・ヴァルダ)△
d)『コートダジュールの方へ』(アニエス・ヴァルダ)△