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TOKYO FILMeX 2009 その2

a)『春風沈酔の夜』(ロウ・イエ)△
b)『天国の七分間』(オムリ・ギヴォン)△
c)『堀川中立売』(柴田剛)×
『春風沈酔の夜』は前情報なしに見たらいきなりゲイ・ムービーだったので驚いた。ロウ・イエが実際にゲイかどうかは知らないが、一般にゲイの映画作家が撮った映画は役者の顔の選び方が独特なのでピンとくる(もっともスター・システムが機能していた時代にはこれは当てはまらない)。それはなぜなのだろうと常々疑問に思っていたら、先日、友人に「それは映画的にどうこうじゃなくて、単に監督が好きな顔(性的嗜好として)を選んでいるからじゃないの」と言われ、腑に落ちた。ノンケの自分は個人的な選択としてこの手のものはあまり見たいとは思わないというのが正直な気持ちだが(ただゲイ差別するつもりは毛頭ないので念のため)、ただゲイの映画作家が撮ったゲイの政治的権利をめぐる『ミルク』(ガス・ヴァン・サント)が全く不快ではなく、逆に泣いてしまったくらいなのに(その辺、彼はノンケにもどうしたらアピールするかをキャスティングを含め――ショーン・ペン!――キチンと「政治的戦略」を立てている。もっともデビュー作『マラノーチェ』にはそこまでの戦略性はなく、彼の趣味性がもろに出ている気がする)、この作品が好きになれなかったのは、役者の顔の選び方がやはり作家の趣味性に傾いているような印象を受けたのと、この手の題材を扱う上で何度か目にしたことのあるクリシェが散見されたため。

『堀川中立売』は、構成が散漫で、結局、何が言いたかったのかよくわからなかった。とかいうと素人さんの感想みたいで申し訳ないのだが、たぶんこの散漫さは意図的に狙った混沌というよりは、監督自身、脚本のキモを掴めないまま、クランクインしてしまい、結局、そのままクランクアップし、編集段階でもそれが見えなかったことからくる混濁だと思う。ではその混濁が作品のパワーとなり得ているかというとそんなことはなく、ただ延々と続く退屈な「空騒ぎ」(「お祭り」になりえていない)を見せられてしまったような印象を受ける。例えば、この作品に出てくる「資本主義批判」とか「ホームレス狩り」とかいったモチーフに対する監督の立ち位置はどうなっているのだろうか。作品からは全く伝わってこなかった。それに「資本主義批判」といっても、これだけのバジェット(商業映画としては少ないかも知れないが、インディペンデント映画としては規模の大きい)の作品を撮るには、まさに「資本」が必要なはずで、もし本気で「資本主義批判」をしたいなら別の撮り方を模索してみるべきだっただろうし、本気じゃないならそんなこと冗談でも口にしないで欲しい。いや別に言ってもいいけど、それなら娯楽に徹して面白いものを撮って欲しかった。結局どっちつかずな中途半端なものに終ってしまったのが残念。十年前に撮られたデビュー作『NN-891102』には荒削りながら、もう少し何かあったはずだが。
『天国の七分間』は、ティーチインで見た主演女優がとっても綺麗で見とれてしまったこと以外、あまり覚えていない。