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傑力珍怪2010 新種誕生

本日は「傑力珍怪2010 新種誕生」を見にアップリンクへ。今年のラインナップは『トゥエンティーズのセブンティーン』(藤岡晋介)、『憧れの人』(玉川直人)、『焦げ女、嗤う』(瀬川浩志)、『月へ行く』(植岡喜晴)。『トゥエンティーズ』は上映前に監督がやったシュールなコントの方が個人的には面白かった。映画もこのノリなのかと思ったら、意外にフツーの青春ものだった。フツーの、とはいっても、即興によって作られているところがこの作品のウリなのだと思うのだが、その点に関しては別に新味は感じないものの、それはそれとして、男同士の友情に一人の女の登場によって亀裂が入るあたりまでをシニカルな視線で描いておきながら、最後の二人の和解をナイーヴかつベタに盛り上げてしまうのには(即興演技で二人は涙を流してしまいさえする)いかがなものか。『憧れの人』については以前書いたが(id:hj3s-kzu:20090906)、前回見た時に不要だと思った、兄が妻に浴室に閉じ込められた後の食卓のシーンが再編集でカットされていたので、よりスッキリしたと思う。『焦げ女、嗤う』は脚本をもっと練った方がいいと思った。例えばヒロインに霊感があるという設定が物語の後半で全く活きていない。また撮り方にしても、終盤の自動車が疾走するシーンに見られるような、車が泥水を跳ね上げるというようなショットを良しとするセンスは端的に言ってイケてないのではないかと思った。あと冒頭でヒロインが彼氏に置いてきぼりにされる山中は都心(に見えた)から相当離れているはずだが、その距離を彼女はどの位の時間をかけて歩いてきたのだろうか(しかもあの靴で)。また中盤、彼女がストーカー女に元カレとのセックスを盗み撮りされる場面での両者の距離はあまりにも近すぎはしないだろうか。また最後のベランダで男女が浮気する場面も、ベランダと他の人たちがいる居間との位置関係も近すぎるように思えた(この距離でわざわざバレるようなことをフツーしないだろう)。このようにこの作品では映画における時間的・空間的な距離に対して、かなり無頓着な印象を受ける。なのでそこで描かれていることをすんなり信じられない(つまり先に指摘したベランダのシーンのように「ありえねー」と突っ込みたくなる)。時間と空間を作品の中でどう組織化するかに映画作家の才能が問われると思うのだが……。久々に見た『月へ行く』は、監督本人がトークで言っていたように傑作だった。上映後、朝までコース。藤岡くんがR大で西山さんのワークショップを受けたことがあるというので、そこで教材に使われた女殺し屋もののシナリオは実は私が書いた『火の娘たち』だと種明かしをする。