緑色のカーテン/海を探す

a)『緑色のカーテン』(隅達明)
b)『海を探す』(小嶋洋平)

a)二本とも「1st Cut」より。でまずこの作品を見て。
才能があるのは分かった。あとは細かいところの演出の詰めの甘さをどう克服するかがこれからの課題だろう。例えば金髪の女の子が走るカットは、あんな走り方じゃなく、もっと本気で走らせなきゃ駄目だ。このカットが『汚れた血』(レオス・カラックス)のジュリエット・ビノシュを思わせるように、初期のゴダール、カラックスを思わせるカットが随所に出てくるが、彼らの「疾走」を自分のものとするためには、彼らの抱えていた絶望を自分のものとしなくてはならないのではないか。その点、この作品の主人公は上っ面で絶望の表面を撫でているように思えた。アキレス腱を切る音は果たしてあれでいいのか。聞いていてちっとも痛くない。ラストの焼身もあんなちゃちな仕掛けじゃ本当に生身の人間が焼かれているようには見えない。これについては『夜は千の目を持つ』(高橋洋)や『スポンティニアス・コンバッション』(トビー・フーパー)を研究されたし。去年、ようやく見れた『裁かるるジャンヌ(完全版)』でも人体が炎に焼かれて崩壊していく様を、ドライヤーは冷徹な視線で見つめていた。また女優の身体や顔を撮ることに対する配慮がやや欠けているように思えたのも気になった。女性の裸体を撮ればエロティシズムが生まれるわけではなく、それにアプローチするためにはある繊細さが必要である。例えば『孤独な場所で』のグロリア・グレアムはシーツにつつまれて肩の肌をちょっと露出してみせるだけだが、そこには喩えようもない美とエロティシズムが現れている。ヒロインに着せる衣装のセンスもあんまりじゃないだろうか。ただ彼女の地下鉄での表情を捉えた長回しの画面はその音響と相俟って素晴らしかった。いろいろ文句をつけたが、最初にも述べたように才能のあることは確信したので、次回作に期待したい。


スポンティニアス コンバッション〜人体自然発火〜


発売日 2001/04/13
売り上げランキング 21,625

Amazonで詳しく見るB00005HV0F

b)手堅い、というのが見ている間の印象。この映画は「青春映画」のクリシェに満ち満ちているのだが、的確な画面構成と役者の演技によって、テレビ的な凡庸さに陥る一歩手前に踏み止まっている。だからこそラストの海の場面はもう少し何とかならなかったのかと惜しい気がした。誰もいない野球グラウンドでベンチに腰掛けた主人公とグラウンドでベスパに乗っている少女をやや逆光ぎみに背後から撮ったロング・ショットなどとても良かった。またこの作品にも女性の裸体が登場するのだが、やはりもう少し繊細に撮って欲しかった。
二本続けてみると、青春の陰と陽といった感じで、図らずもその対比が興味深かった。