Happy New Year !

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 早速2022年のベストテンを。今回もあえて時流に逆らい、スクリーンで見たもの限定で。

その前に特別賞を。

青山真治ジャン=リュック・ゴダールジャン=マリー・ストローブの全作品。

理由はここに記すまでもないだろう。なお、ここに吉田喜重を付け加えないのは必ずしもその全作品を肯定している訳ではないため。

まずは新作映画ベスト。先達に敬意を表し、生年順。

『クライ・マッチョ』(クリント・イーストウッド

『ウエスト・サイド・ストーリー』(スティーブン・スピルバーグ

『あなたの顔の前に』(ホン・サンス

『アネット』(レオス・カラックス

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(ウェス・アンダーソン

『炎のデス・ポリス』(ジョー・カーナハン

『ツガチハ日記』(ミゲル・ゴメス/モーレン・ファゼンデイロ)

『パシフィクション』(アルベルト・セラ

『みんなのヴァカンス』(ギヨーム・ブラック

『グリーン・ナイト』(デヴィッド・ロウリー)

次に旧作映画ベスト。選んだら十本では収まらなかったので、初見のものに限った。製作年度順。

ドン・カルロスのために』(ミュジドラ、1921)

『13人の女』(ジョージ・アーチェインバウド、1932)

『結婚適令記』(青山三郎、1933)

『おせん』(石田民三、1934)※断片のみ

『明日は日本晴れ』(清水宏、1948)

『こだまは呼んでいる』(本多猪四郎、1959)

『女ばかりの夜』(田中絹代、1961)

『ブラッド・ブラザース 刺馬』(張徹、1973)

『無気力症シンドローム』(キラ・ムラートワ、1989)

『語る建築家』(チョン・ジェウン、2011)

ベスト短編は『愛の果実』(アレクサンドル・ドヴジェンコ、1926)

コントレ賞こと新人監督賞は『Human Flowers of Flesh』のヘレナ・ヴィットマン(Helena Wittmann)。また奨励賞に『日本原 牛と人の大地』の黒部俊介。

よいお年を!

晦日なので一年を振り返る。春に自分の映画人生において大きな存在であった青山さんが急逝してしまったので、「中央評論」に書くつもりで準備していたカラックス論を止めて、弔い合戦のつもりで急遽、青山論を書くためにGW中ずっとホテルでカンヅメをし脱稿。おかげで原稿料の二倍もホテル代がかかった…。春学期が終わったタイミングでコロナに罹り、妻子に感染しないように細心の注意はしていたものの、やはり狭いマンション暮らし故それも無理で一家全滅。ゾンビだらけの世界では、ゾンビから身を守るよりも、ゾンビになった方が楽という妙な感慨を覚えた。高齢者や基礎疾患持ちでない限り、一週間ほどで呆気なく社会復帰できるので、双六の「一回休み」みたいなもんだなとも。ただアテネフランセでの十数年ぶりのトークは、万全を期して数日前から近くのホテルで準備していたものの、病み上がりの身体のためか、当日微熱があったために、結局ホテルからのオンライントークとなってしまったのが心残り。秋から年末にかけてはTIFFアテネの中原さんの特集に通いながら、去年の今頃は青山さんとこの辺で普通に会話してたんだよなとしんみり。青山さんの他にも年末にかけてゴダール、ストローブ、吉田喜重とやはり自分の映画的形成に強い影響を与えた映画作家たちが次々と亡くなり、現代映画の第一期の終焉をつくづく感じるとともに、彼らの新作をもう見ることが永久に叶わないのは悲しいことだが、老人ばかりに過大な期待をせずに、自分を含め、彼らより若い連中たちが新しいものを生み出すべく努力しなくてはいけないのだなどとも改めて思った。

RIP SA

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青山真治(1964-2022)による世界映画ベストテン(2012)

素晴らしき放浪者
秘められた過去
ファウスト(1926)
ゴダールのマリア
大砂塵
キラー・エリート
ラヴ・ストリームス
殘菊物語
太陽は光り輝く
現金に手を出すな

https://www2.bfi.org.uk/films-tv-people/sightandsoundpoll2012/voter/1167

「映画は複製の喜びからできていることを私はいつも忘れずにいたいと思っている。映画の魅惑とはリアリズムにあるのではなく、いかに「リアル」を楽しむかにある。この意味で、私は映画に向き合い、映画を作り、映画について話す時、「ファウスト」を常に念頭に置いている。

私の大好きなフォード作品は毎日変わるが、今日は「太陽は光り輝く」を選びたい。それはたぶんステッピン・フェチットの声を聞きたいからだ。このリストの十本の代わりにフォードを十本選ぶこともできただろうが、そうした子供じみた振舞いは慎まなければならない。

初めて「残菊物語」を見た時、四十を過ぎた人間が人前でこんなに泣いていいものだろうかと思った。数ある溝口の傑作の中からこの作品を選んだのは、この罪悪感を償うためである。

今直面している難題を乗り越えるために、私はルノワールの「ユーモア感覚」を必要としている。「素晴しき放浪者」を選んだのはそのためだ。そして、ジャック・ベッケルの作品を見るたびに、彼を知り合いのように感じる。

『秘められた過去』ほど破壊的な映画は他にない。これを見るたびに、様々な感情が掻き立てられる。映画でこのような不確定性を達成することは、私が常に望んでいる最高の目標だが、決して到達することはできない。

『大砂塵』は、いつかリメイクしてみたい唯一の映画だが、それが不可能であることも知っている。それはおそらく私が見ることができる最悪の悪夢に最も近いだろう。この映画をリメイクしたいという私の願望が、自分の悪夢をリメイクしたいという私の歪んだ考えから来ていることは間違いない。

キラー・エリート』ほど人間の尊厳について教えてくれた映画は他にない。そんなことを言っても誰も信じないだろうが、本当だ。私はこの映画のために、小津の作品を諦めたが、その事実はペキンパーの映画に対する私の思いについて多くを語るだろう。

何故だかわからないが、キャメラの前に立つたびに、『ゴダールのマリア』のいくつかのシーンについて考える。それが何であるかはわからないが、この映画とは、何らかのつながり−−愛と憎しみを超えた−−を感じる。人生とはそのようなものだ。

カサヴェテスについて考える時、私はいつも幸福を感じる。自分が映画好きで本当に良かったと思う。私は死ぬ日まで常にそう感じると確信しており、そしてそう感じるつもりだ。『ラヴ・ストリームス』のラスト、カサヴェテスは、裸の男に変身した傍にいる犬を見て微笑む。そんな笑顔ができたらいいなと常に願って生きている。」

(訳:葛生賢)

Happy New Year !

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 早速2021年のベストテンを。今回もあえて時流に逆らい、なるべくスクリーンで見たもの中心に(ヤマガタの上映作品は例外とする)。

まずは新作映画ベスト。先達に敬意を表し、生年順。

『ボストン市庁舎』(フレデリック・ワイズマン
『涙の塩』(フィリップ・ガレル
アメリカン・ユートピア』(スパイク・リー
『水を抱く女』(クリスティアン・ペッツォルト
『ドント・ルック・アップ』(アダム・マッケイ)
『ビーチ・バム まじめに不真面目』(ハーモニー・コリン
『ホイッスラーズ 誓いの口笛』(コルネリュ・ポルンボイュ)
『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』(ラドゥ・ジューデ)
『発見の年』(ルイス・ロペスカラスコ
『見上げた空に何が見える?』(アレクサンドレ・コベリゼ)

次に旧作映画ベスト。製作年度順。

『ウーマン』(モーリス・ターナー、1918)
『曠野に叫ぶ』(キング・ヴィダー、1921)
『予審』(ローベルト・ジーオトマク、1931)
『脱走者』(フセヴォロド・プドフキン、1933)
『朧夜の女』(五所平之助、1936)
『十字路』(沈西苓、1937)
『新しい人生』(パウロ・ローシャ、1965)
『赤い夜』(ジョルジュ・フランジュ、1974)
『魔法使いのおじいさん』(ゴーヴィンダン・アラヴィンダン、1979)
『男子ダブルス』(ジャン=フランソワ・ステヴナン、1986)

コントレ賞こと新人監督賞はアレクサンドレ・コベリゼにするつもりだったのだが、ベストの方に入れてしまったので、該当者なし。

よいお年を!

晦日なので一年を振り返る。去年苦労して作った講義動画の「貯金」のおかげで、今年はかなり時間に余裕ができるはずだったのだが、聞き返してみると、講義が後半に進むにしたがって、蓄積されていった疲労のために編集が粗くなり長尺化する回が増えていったので、結局、再編集する羽目に。

映画批評家映画作家としては、夏のアテネフランセでの堀くんの特集に際しては裏方に徹し、トークなどはしなかったのだが、堀くんの遺志に基づき拙作の併映をしてもらった(東京では十五年ぶりの上映)。あと同じ日に上映されたアレクサンドレ・レフヴィアシュヴィリの「最後の人々」の字幕翻訳も。代わりと言っては何だが、秋のポレポレ坐での「天竜区」の上映に際してトークに呼んでもらった。なお、堀くんが亡くなってから、堀くん関連のトークばかりお呼びがかかるようになったのだが、他の映画作家についても色々語れるので、何卒よろしく。

今年のちょっとした贅沢としては、コロナ禍で割安になった高級ホテルでカンヅメというのを三回ほどしたが、これは実に仕事が捗った上にのんびりできた(もちろん赤字)。あと映画一本見るためだけに、十年ぶりに神戸映画資料館を訪れ、旧交を温めた。

何はともあれ、一年無事に終わってよかった。と思ったら、最後の最後で子供に急性胃腸炎をうつされ、寝正月になることが早速確定…。

適切な距離

(以下に読まれるのは、2011年6月3日に行われた「映芸シネマテーク vol.9」のレポートとともに映画芸術DIARYに掲載された大江崇允『適切な距離』の作品評である。現在、このサイトがアクセスできない状態になっているために、ここに再掲する。なお初出時のタイトルは「測量士としての映画作家―『適切な距離』について」である。)

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