名前のない森

a)『名前のない森』(青山真治
a) この映画についてはid:hj3s-kzu:20040112をあわせて参照のこと。近年の青山作品においては何故かスリッパないしサンダルを素足につっかけた美しい女性が殺されてしまう。この作品の大塚寧々や『ユリイカ』の椎名英姫がそうである。ではそれ以前の作品においてはどうか。いくつかの例外はあるものの、死を担うのは男性の方で、女性が死ぬことは滅多にない。そこで『ユリイカ』あたりを境として、死が男性から女性へ移行しているということができるだろう。しかも死を担う女性たちは主人公たちを死の側へと手招きするような存在として描かれている。彼女たちは謎めいた存在だが、フィルム・ノワール的なファム・ファタールというよりは、「謎=女」という夏目漱石的な存在である(周知の通り、『シェイディー・グローヴ』と『月の砂漠』はそれぞれ、漱石の『虞美人草』と『行人』から着想を得ている)。では前期の作品において生を担っていた女性(しかも多くの場合、「結婚」というハッピーエンドをもたらすことになる)はどこに消えてしまったのだろうか。それとも別の形象であらわれているのだろうか。『ユリイカ』以降に顕著とあらわれるようになった形象、それは「少女」たちである。『ユリイカ』しかり、『月の砂漠』しかり。少女たちは、死んだ女性の手招きに引き寄せられて、死の側へと傾斜していく主人公たちを、かろうじて生の側へと繋ぎ止めている。
上映終了後のティーチ・インで映画作家本人におよそ以上のようなことを質問したら、見事にかわされてしまった。いわく「私はロリコンではない」と。女性の足については、「彼女たちの足の裏が汚れているのかどうか、ということに興味がある」と。ここで、中上健次の『紀州―木の国・根の国物語』で中上が「女性の汚れた足裏」にヴィヴィッドに反応したことに触れつつ、それはすなわち「虐げられた者たち」に関わることであり、自分は彼らの側につきたいと思いつつ、そう思っている自分を断罪したい気持ちもあるのだと複雑な思いを語っていた。
東京日仏学院の坂本さんの御厚意で、その後の食事会に参加する。青山さんとは今年の新年会以来、約半年ぶりの再会であった。その間、日記でお小言をいただいたりしたが、本人いわく「教育的指導」とのことなので、有り難く受け取っておくことにする。ここには書けないのが残念だが、「華麗なる一族」のことや、元総長との対談の裏話などを驚き呆れつつ聞き、飲めないのに調子に乗ってワインを大量摂取したため、帰る頃には足元がふらふらになり、帰りの電車でナイスガイ氏とある話題を巡って意気投合し別れてから、ひとり駅のトイレでゲーゲー吐いたのであった。情けない。なお青山さんにモンテイロ全作品レビューをやるつもりだと宣言したら、ぜひやれと言われたので、滞っている分も頑張るつもり。
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