東京国際映画祭2009 その3

a)『台北24時』(チェン・フェンフェン/ニウ・チェンザー/デビー・スー/チェン・シャオツォ/リー・チーユエン/D.J.チェン/アン・ジョーイー/リー・カンション)△
b)『君と僕(断片)』(日夏英太郎)△
c)『天と地の間に』(ドクトル・フユン)△
d)『アレキサンドリア−今も昔も』(ユーセフ・シャヒーン)○
e)『怪奇猿男』(マーシュイ・ウェイパン)◎
f)『麻瘋女』(マーシュイ・ウェイパン)◎
寝坊してしまい、全八話からなるオムニバス『台北24時』を四話目から(それにしても大江戸線六本木駅のエスカレーターをダッシュで駆け上るのはしんどいので何とかして欲しい)。どれもテレビドラマ風だったが(実際、台湾のテレビ局の制作のようだ)、唯一、リー・カンション監督、ツァイ・ミンリャン主演の最終話「自転(Remembrance)」は、ライティングがしっかりしていたので、映画として見られた(それほど優れた作品とは思わないが)。ツァイ作品でおなじみのルー・イーチンが女店主の喫茶店が店じまいをする最後の夜に常連客のツァイがやってきて思い出話をするだけの物語なのだが、二人の話で話題となったテレビ映像がラストに登場する。それは早逝した女性舞踏家ルオ・マンフェイの映像で、彼女がただひたすら回転を続けるだけのその美しいモノクロ映像には深く感動させられ、このショットに出会えただけでも、面白いとはあまり言えないこのオムニバスを見てよかったと思った。

『君と僕』と『天と地の間に』の監督は本名ホ・ヨン(許泳)で、「戦前の朝鮮に生まれ」「日夏英太郎の名で日本映画界に入り、戦後はドクトル・フユンとしてインドネシアで活躍した」とのこと。『君と僕』は、皇軍に志願する朝鮮人の青年兵の話だが、断片だったのであまり覚えていない。小杉勇と三宅邦子が出ていたので、一瞬おっと思った。『天と地の間に』は、幼なじみの男女が離ればなれになり、成人してからインドネシア独立をめぐって女は売国奴のスパイの側につくが、男への愛によって独立側に寝返るという話なのだが、二人とも既婚者という設定なので、それじゃダブル不倫じゃないか、おいおいと思う。こちらはスパイ活劇風メロドラマとしてなかなか楽しめた。ただヒロインの演技が素人っぽく、しかも主演を張るほど美しくもなかった。
『アレキサンドリア−今も昔も』は、「アレキサンドリア四部作」の三本目。あいかわらずシャヒーンは、あの夢よ、もう一度と過去の栄光にしがみついていて見苦しいのだが、ミュージカル・シーンで老齢の身体に鞭打って踊りまくっているのでよしとする。ヒロインがとても魅力的で(いわゆる美人タイプではないのだが)、彼女を見ているだけであっという間に二時間近く経ってしまう。
『怪奇猿男』と『麻瘋女』は、高橋洋の『映画の魔』によって日本の映画好きの間でも知られるようになったマーシュイ・ウェイパン(馬徐維邦)による二本。『怪奇猿男』は、探偵映画風のサイレント活劇で、キングコングみたいな着ぐるみの怪人が次々と良家の令嬢を誘拐監禁し、それを主人公たちが救うという話だが、セットと着ぐるみがあまりにもチープすぎ、何か大昔の自主映画を見ているような気になった。とはいえ1910年代のアメリカのサイレント映画の影響を受けたスタイルのこの作品はとても面白かった。『麻瘋女』は、その九年後に作られたトーキーのメロドラマで、この頃には上海にも撮影所システムが確立していたのだろう、画面が実に見事で感嘆した。撮影、照明、美術、どれをとっても一級品で、同時代(1939年)のハリウッド映画や日本映画に全くひけを取らない。他人にうつせばハンセン病(麻瘋)が直ると信じられていたという清朝末期の話で、今日の観点からするとPC的に大いに問題があるのだが、それはさておく。継母のいじめに耐えきれず、家出をして遠路遥々、旅をしてきた無一文の主人公がそこで当てにしていたおじの死を知らされ絶望していると、土地の名家の婿にならないかとうまい話を持ちかけられる。しかも結婚相手は美しい娘である(設定上は)。半信半疑で結婚し、いざ初夜を迎えんとすると、新婦が真相を打ち明ける。実はこの地方の娘たちは皆、麻瘋にかかっており、土地の風習でよそ者と結婚して病気をうつし、別の相手と再婚をする。しかしこの風習を憎む彼女は彼に麻瘋をうつしたくないので、セックスせずに、三日後に彼を故郷に送り出すつもりだと。こうして三日経った最後の夜、彼を本当に愛してしまった彼女が、死んでもどうか私のことを忘れないで心の妻として下さいと言うところがまず泣ける。しかも周りのものに疑われないように発疹を装って彼の身体にキスマークをつけるのだ(!)。主人公が発った後、彼女は発病し、怒り狂った家族たちに療養所に監禁されるが、患者仲間の手助けによって何とかそこを抜け出し、乞食をしながら主人公の元へ苦労して辿り着く。一方、彼は科挙に合格して出世している。発病し、彼の家の離れに住むことになった彼女は、ある嵐の晩、絶望に駆られ、毒蛇の飛び込んだ酒樽の酒を飲んで自殺を試みる。一夜明けてみると、あら不思議。彼女の病は完治していた。毒蛇の猛毒が麻瘋の病原菌に勝ったのだった(毒を以て毒を制す!)。何ともまあご都合主義なのだが、私はこの美しいメロドラマに深く感動し涙した。ミュージカル場面でヒロインが歌う麻瘋の歌の歌詞がやばすぎ。てっきり馬徐維邦のことだから、発病した彼女が死んで怨霊となり、出世して新しい妻を娶った恩知らずの主人公に復讐するようなストーリーを想像していたのだがそうはならなかった。このメロドラマの展開に不満の向きもあろうが、個人的にはこれはこれでありだと思う。映画とは奇跡を見せる装置でもあるのだから。