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東京国際映画祭2009 その4

a)「アン・ホイTV作品集2」(アン・ホイ)○
b)「アン・ホイTV作品集3」(アン・ホイ)○
c)『時の彼方へ』(エリア・スレイマン)◎
d)『シーリーン』(アッバス・キアロスタミ)△
またまた寝坊してしまい、エスカレーター・ダッシュ。もう勘弁して。
で「アン・ホイTV作品集2」の後半から。ICAC(香港政府汚職取締り機関)制作の「ICAC」シリーズから「ステーキ代」と「黒白」の二話を上映とのことだが、「黒白」の途中からしか見れんかった……。TVドラマとはいえ、かなり質が高く、アン・ホイの近年の映画より面白いかも。ICACのメンバーが汚職捜査である会社に乗り込んでいくと、それを知った容疑者が窓から急に飛び降り自殺するアクションにはハッとさせられたし(記憶違いでなければ、飛び降りるアクションに一拍遅れて、少し離れたところで彼を背後から捉えていた手持ちキャメラが窓に近づき、そのまま下を俯瞰すると道に彼の死体が転がっているという凄いシークエンス=ショットだった気がする)、事件が終わった後、ヒロインが友人たちとレストランで食事をするシーンで、友人ナメでヒロインを捉えていたキャメラがだんだんとその顔にズームインするにつれ、友人の方を見ていたはずの視線が微妙にズレていき、ついに彼女のクロースアップになると、いつの間にかキャメラ目線になっているという技にはオオッと唸った。

「アン・ホイTV作品集3」は、RTHK(香港電台)制作の「獅子山下」シリーズから「ベトナムから来た少年」、「橋」、「路」の三話。「ベトナムから来た少年」は題名の通り、香港に密入国した少年(ショタコン受けしそうな感じ)が、親戚のお兄さん(男娼)やらその友人の絵描きらと交流を深めていくが、ようやく香港での生活も軌道にのった頃、頼りにしていた二人とも密入国で強制送還されてしまうという何かしんみりする話。「橋」は、団地のすぐそばのハイウェイに架かった陸橋の建替え工事をきっかけに、それに反対する住民たちが座込みのデモを始めるが、最後は警官隊に排除されてしまう。その途中で、香港の住宅事情や電力の闇供給の問題などが炙り出されてくる。「路」は、ある老女がアヘン中毒を治療するために施設に入るが、実はその娘もアヘン中毒であること、それどころか彼女の一家は代々アヘンを吸引しており、それは貧困に由来するものであることがわかってくるという話。どれも社会派ドラマとして見応えあり。
『時の彼方へ』は、回想シーン冒頭、カフェの外のテーブルを囲んで男たちが座っているのを正面から捉えた、スレイマン作品でおなじみの構図を見た瞬間にニヤリとしてしまうが、アラブ兵に偽装したイスラエル兵たちに、味方だと誤解して近づいてきたアラブ女性が即座に撃ち殺される即物的なロングショットを見るにつけ、今回のスレイマンは本気だ、と襟を正してしまう。実際、これに続く、イスラエル兵とパルチザンたちの銃撃戦は実に念入りに描かれた緊迫感溢れる素晴らしいもので、しかもそこに登場する中心人物の銃密造者がスレイマンの父親をモデルにしていることに気づいた途端、これまでの作品において語られなかった事実の重みに涙してしまう。そこから先は、スレイマン少年が小学校の校長に階段の陰でアメリカ帝国主義批判をして叱られるシーンの反復や、授業で『スパルタカス』(キューブリック)を見せていた女教師が、カーク・ダグラスジーン・シモンズのキスシーンになるとスクリーンの前に立って映像を遮り、彼らは兄妹なのでキスしているんですよと小学生たちに嘘の説明をするシーンなどにも大いに笑わせられたが、後半、イスラエル軍の戦車が、携帯を掛けているパレスチナ人に向けて、主砲の照準を彼の歩調に合わせて小刻みに動かすという、イスラエルがパレスチナに対して行使している恣意的な暴力の馬鹿馬鹿しさを皮肉った秀逸なシークエンス=ショットや、街路でイスラエル軍とパレスチナ人のデモ隊が衝突しているところにベビーカーを押した赤い服の若い女性が通りかかり、邪魔だから家に帰れとスピーカーで警告する兵士に向って、「てめーらこそ帰れ、バカヤロー!」と中指立てて悠々と去っていく俯瞰ショット(彼女が監督の妻だと後で知り、さらに深く感動した)などいいシーンが沢山あった。今回、TIFFで見た最も素晴らしい作品の一つ。
『シーリーン』は、チラシでスチールを見て、たぶん『それぞれのシネマ』(id:hj3s-kzu:20071117)のキアロスタミ編(約三分)の長尺版だろうなーと予想していたら、やっぱりそうだった。上映前に「30分我慢して見てくれれば、その後にきっと素晴らしいことが待っている」といった旨の監督からのメッセージが読み上げられ、聞きながら「絶対嘘」と思ったのだが、これも予想通り。確かに、ここに登場する様々な年齢の女優たちのクロースアップは本当に素晴らしいのだが(すっぴんのジュリエット・ビノシュはイラン女性に溶け込んでいた)、それに反してオフで聞こえてくる音(タイトルの『シーリーン』は、作品自体を指すとともに、彼女たちの視線の先にあるはずの映画――それは決して画面として提示されない――をも指すという二重性を帯びている)の音響空間の距離感の設計が単調で、しかも使われている効果音(設定としては史劇大作なのだろう)が繊細さを欠くように思われた。なので、この映画の試み自体の面白さは認めつつも、個人的には全面肯定できない。『それぞれのシネマ』の時の短編ではもう少し豊かな音が聞こえてきたような気がするのだが、私の記憶違いだろうか。もっと彼女たちの息づかいや衣擦れの音といった生音が聞きたかったのだが、それは贅沢な願いなのだろうか。