NOVO/あじまあのウタ/潜行者

hj3s-kzu2004-02-29

a)『NOVO』(ジャン=ピエール・リモザン
b)『あじまぁのウタ』(青山真治
c)『潜行者』(デルマー・デイヴィス)

a) 最先端のオフィスと古代人骨、女の裸体にあてられる氷と男の裸体に吹きかけられる湯気、テクノとビリー・ホリディなどなど。こうした両極端のものがこのフィルムの中では共存している、まさに私たちの世界がそうであるように。そして重低音がよく響く重苦しいほどの音響に軽やかな映像(望遠ぎみの手持ちキャメラと、自由自在に速度を変え、まるでビデオのリモコンを操作しているかのような錯覚を与える編集)がモンタージュされる。
ロラン・バルトが「日本」という「空虚な記号」と出会って、そのエクリチュールを変質させたように、ことによるとリモザンも『TOKYO EYES』で「白痴の天使たち」の住む「日本」と出会って、いっそう軽やかになったのかもしれない。『TOKYO EYES』で武田真治吉川ひなのが演じた「いまどきの若者」(もちろんそれは異邦人の眼差しで見られたものである)が奇妙に実存というものを欠いているかのようであったのと同様に、『NOVO』のアナ・ムグラリス(実に美しい)とエドゥアルド・ノリエガも、この作品の前半ではとても物を考えるような人間には見えず、逢ってその日のうちに二人はセックスし、その後もひたすら二人がセックスに興じる様が延々と描かれ、ついには彼らの日常の業務に支障をきたすほどである。
グラハム(エドゥアルド・ノリエガ)は記憶障害を煩っており、五分とその記憶が続かない。おかげでイレーヌ(アナ・ムグラリス)は常に新鮮な関係を彼と結ぶことができるのである。初めのうちはそれを楽しんでいたアナだが、二人の関係が深まっていくにつれ、自分の記憶を少しでも彼に長く持っていて欲しくなる。彼女は彼の胸に鏡文字で「イレーヌ」とサインペンで書く。そして彼の記憶障害もだんだんと治癒の方向に向っていく。それとともにフィルムはだんだんと奇妙な重さを纏いはじめる。
新しい人(=「NOVO」)グラハムはとある海岸で目覚める。すでに彼は完全に記憶を取り戻しており、そのことを彼を探しにきた息子とはしゃぎ喜ぶ。一方、イレーヌが現れるまではグラハムを性的に独占していた女社長(ナタリー・リシャール)は、かつてグラハムが友人にかけられて記憶を失う原因となった柔術(?)の「禁じ手」を今度はイレーヌにかける(風の吹きすさぶプラットフォームでのこの出来事は、音楽が高鳴るなか、自動車に乗るグラハムの逆光で潰れた後頭部と流れる外の景色のショットと、短いショットの積み重ねでクロス・カッティングされていて、私たちがその出来事を知るのは遡行的にそれを再構成することによってである)。
グラハムとイレーヌは地下駐車場で再会する。しかしイレーヌはナタリー・リシャールにかけられた技によって、グラハムの記憶を失っている。しかし彼女は彼に惹かれるものを感じる。二人は車を飛ばし、グラハムの車が駐車場の出口のバーを破壊して疾走するのを見て、イレーヌも同様にして彼の車の後を追う。さらに新しくそして軽やかになるために。


NOVO


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b) このところ音楽の扱いがぞんざいな映画に辟易していたので、この作品を見て少しホッとした。ストローブ=ユイレが『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』によって私たちに教えてくれるように、音楽をフィルムに収めるにはいくつものカットに割る必要はなく、決定的なポジションにキャメラを据え、黙って演奏を見つめていればよい。そして最初のフレームでは演奏の全体が収まらなくなったときだけ、キャメラを後退移動すればよい。青山真治氏によるこの「音楽映画」はこうした音楽をめぐる倫理に極めて忠実である。ステージで上原知子が歌っている瞬間にはキャメラは適切な距離から適切なフレームで彼女を捉え、しかるべき瞬間にりんけんバンドのメンバーが踊っているショットに切り替わる。つまり必要にして十分なショットからこのフィルムは構成されている。ところがこの作品はそこだけに留まらない。彼女のレコーディング風景を収めたシーンでは、彼女と録音エンジニアとのガラス一枚を隔てた会話をイマジナリーライン破りの切り返しで捉えたり、彼女の動作をなめらかなアクションつなぎで提示したりといった遊び心も忘れてはいないのだ。ラスト近く、上原知子照屋林賢をロングで逆光ぎみに捉えたスタジオ内の長回しは本当に美しい。画面中央奥に大きな縦長の四角い窓があって、そこだけ光に満ちあふれている。そしてその光は二人をそして私たちも外へと誘っている。お腹が空いたので御飯でも食べに行こうと照屋林賢が言い出す。彼はやおら立ち上がり、窓に向って歩いていく。それに合わせてキャメラは絞りをさらに深くする。それによって私たちは外の景色を目にすることができる。いい天気だ。スタジオに籠っているには惜しいほどの。そして彼らとともにキャメラも沖縄の光に満ち溢れた屋外に出ていく。


あじまぁのウタ

上原知子/りんけんバンド

発売日 2003/06/25
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c) 妙な映画である。上映時間106分あるこの作品で、私たちが主演のハンフリー・ボガートをようやく目にすることができるのは、映画が約半分を過ぎたあたりからである。物語の三分の一は、彼の主観ショットで大半が語られていく(もちろん客観ショットがところどころインサートされるが)。彼は脱獄囚で、一目をくらますために整形手術を受ける。したがって彼の顔は透明人間かミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされていて、ボギーの顔を見るために私たちはさらに待たされる。彼を匿い、看病したローレン・バコールにしてもそれは同じことでようやく包帯を外して彼の顔(ただし物語の上では整形後の顔なのだが)を目にした時が彼との別れの時である。しかし運命の女神は二人に微笑む。見事逃げおおせた彼は異国の海辺のカフェで彼女に再会することができるだろう。ハッピーエンドで終わる珍しいフィルム・ノワール


潜行者 特別版


発売日 2003/12/24
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