人生いろいろ映画もいろいろ

リモザン講義用の映像素材調達のために飯田橋経由で京橋まで行ったので、参考上映の『NOVO』(ジャン=ピエール・リモザン)の前半一時間を見逃す(もっともすでに数回見ているが)。今日は『逃げ口上』と『NOVO』の裏話のようなことを話していたが、意外に面白くなかったので(失礼)、最後の質問コーナーでちょっと挑発的な質問をしてみた。昨日の講義では、撮影対象との関係には愛を伴った視線が必要だという話で、それは全くその通りだと思うのだが、そこで例として出されていたのが、意外や意外、パゾリーニで(何と、リモザンはパゾリーニが大好きなのだった!)、パゾリーニはゲイであったがゆえに女性だけでなく男性も魅力的に撮ることができた(このあたり思いっきり簡略化しています)ということであった。では果してこのことは遺作の『ソドムの市』についてもあてはまるだろうか。これに対してリモザンは、『ソドムの市』は予めプログラム化された自殺のようなものだった。当時のイタリアの政治的・社会的な厳しい状況があの作品には反映されている、と公式的な答えをしたので(他にもいろいろ言ったが端折っています)、それは全くその通りだと思うのだが、愛を伴った視線、つまり対象への欲望は、映画において、通常「快楽 plaisir」の側にあるはずなのだが、『ソドムの市』におけるパゾリーニの眼差しは、その彼岸である「享楽 jouissance」の側、つまり「死への欲動」まで行ってしまったのではないだろうか、となおも追求すると、その通りだと思う、ただ『NOVO』における「性」は「死への欲動」へ傾斜するのではなく、あくまで「快楽」の側に留めておきたかった、と答えていた。なるほど。
リモザンのバイオグラフィー的な面で、これまで日本ではあまり紹介されてこなかったことをいくつか話していたので、ちょっと記録しておく。彼は大学で映画学科に在籍していたのだが、当時は記号論・マルクス主義・精神分析的なアプローチが主流だったので、早々に授業には出なくなり、たまたま下宿していたアパルトマンの下の階が国立民衆劇場で、そこで毎日三本映画を見る生活を二年続けた(それまでは地方に住んでいたのであまり映画を見る機会に恵まれなかった)。ちなみにそこで最初に見た映画は『楽しい科学』(ゴダール)だったそうだ。当然、大学は落第し、写真学校などに通ったりした後、パリ郊外のある文化施設に職を得て、そこで知り合ったのが当時『カイエ・デュ・シネマ』副編集長のアラン・ベルガラだった。二人は子供たちに映画を教えるプログラムを担当していたのだが、そのうち何か作ろうということになり、「社会学的調査のため」と称して、政府から資金を引き出し、その土地の人たちを使って映画を撮りはじめたという。またリモザンが『カイエ』に寄稿していたのは、映画批評ではなく、「写真についての批評」だったということだ(新事実!)。*1『逃げ口上』は主役の男性は、やや変わった人物で、もともと教師をしていたのだが、舞台俳優になる野望を捨てず、家畜に囲まれながらコルネイユなどを滔々と朗読していたという。その後、彼は数本の戯曲を書いたが、それには動物が舞台で喋ったりするようなシーンがあるという。
さて、講義が終わった後、杉原氏にアモス・ギタイが藤原氏と寿司屋にいるんだけど来る?と誘われたので、有楽町のガード下の店までついていく。実は私は寿司が好きではないので厚焼玉子とかサラダ巻とかを食う。何故か席が空いておらず、先月、イスラエルから帰国したばかりだというイスラエル文学研究者の女性と離れた席でしばらくお話をし、現地の模様など興味深い話をうかがう。やっと席が空き合流したのだが、末席だったので、ギタイの話を聞くことはできなかったのだが、彼の新作をリモザンと内田吐夢のおかげで見逃していたので結果的には良かったかも。握手したらかなりでかい手だった。さてギタイ一行が帰った後、残ったわれわれ日本人と二人の外国人の男女でお話を。外国人の男性はフレッドくん、女性はダニエルちゃんといい、後から聞いたら、二人ともフィルメックスに作品を出品しており、前者は『アヴァニム』のプロデューサー、後者は『戦場の中で』の監督だった。そうかイスラエルつながりだったのね。私の英語もフランス語もカタコトの域を出ないので、現代の映画作家で誰が好きか、またその評価は?ということを手のひらの高さによって表現するというゲーム(?)でフレッドくんと盛り上がる。ちなみに私にとっての最高ランクはもちろんストローブ=ユイレ。マシュー・カソヴィッツが最底辺ということでは彼と意見が一致。その時、彼は虫を踏みつぶすような動作をしていた。さらにバーをはしごし、結局、終電をのがした。一つ手前の駅から小一時間かけて歩いて帰宅。疲れた。

*1:というわけなので、リモザン講義のチラシのプロフィールにある「映画批評家として活躍」というのは嘘。ついでに言うとアラン・カヴァリエについてのドキュメンタリーの副題は「7章、5日、2品料理」ではなく「7章、5日、2K(台所付き二間)」、って間違えたの自分なんですけどね。