映画と死

hj3s-kzu2004-04-10

a)『花と蛇』(小沼勝
b)『ダムド・ファイル 第23話 映画館・中村区』(万田邦敏
c)『映画史 1A すべての歴史』(ジャン=リュック・ゴダール
a) id:hj3s-kzu:20040401で、リメイク版の『花と蛇』(石井隆)をかなり手厳しく批判したが、では小沼版が傑作かというとそれは大いに疑問(ちなみに山根貞男氏はキネマ旬報の時評で両者を比較する際に、小沼版を「傑作」と書いていたが)。小沼勝の「SM映画」で傑作と言えるのはむしろ同じ小沼勝田中陽造コンビで次に撮った『生贄夫人』の方である。ではこの作品に全く見るべきところがないかというとそうとも言えない。ただこうした素材を扱う際の批評的距離(端的に言ってしまえば「こんなもの真面目にやっていられるか」といった)が、演出面での弛緩を生じさせているように思われる。こうした主題は嘘でもいいから真剣に戯れなくてはならない(そして『生贄夫人』はそうすることによって表現としての強度を獲得している)。これ以後、「SM映画」の大家とみなされるようになった映画作家のこの分野における最初の作品が、実はそうした主題に対するある種の脱構築的な作品であったことは興味深い。スタッフ・キャストの誰一人としてこの主題を信じていない中で、ただ一人、谷ナオミだけが輝いている。あの「透明な密室」とでも言うべき矛盾した場所としての電話ボックスの中での性戯のシーンにおける彼女の喜悦の表情は喜びに満ちて実に美しい。そしてこの「透明な密室」の主題は、『濡れた壺』の電話ボックスや『箱の中の女』の猛暑のなか撮られたという新宿駅前でのワゴンカーの車内のように、小沼勝の世界における一つの地下水脈を形作っている。
b) 「SM」とは「エロス」よりも「タナトス」へと向う運動(あるいは停止)であるということを井川耕一郎氏が脚本を書いた作品を見ると強く感じる。そしてやはりこの作品もそうである。「スナッフ・フィルム」を上映するたびに回帰する幽霊というアイデアが実に素晴らしい。そしてここに登場する「スナッフ・フィルム」に憑かれた映写技師は『殺しの烙印』(鈴木清順)や『荒野のダッチワイフ』(大和屋竺)の主人公たちと同じ欲望を生きている。なおこの映写技師のモデルとなった人物を知っているので見ていてとても可笑しかった(といっても実際の彼は別にスナッフ・マニアではないが)。ただ演出的に欲を言えば、最初に幽霊に映写技師がボウガンで狙われる時に、彼が逃げ込む映写室のドアと幽霊との空間的な距離がもう少し離れていてもよかったのではないだろうか。

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c) この映画について語るべき言葉を私は持っていない。「世界のモンタージュ」というペドロ・コスタの言葉がこの作品の本質を最も適切に表しているだろう。映画は現実に対して無力だった。このことのトラウマから映画は二十一世紀になった今でも癒えていない。

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