いつか見れる?

hj3s-kzu2004-06-19

a)『いつか会える』(ブノワ・ジャコー
b)『ワーク・ハード、プレイ・ハード』(ジャン=マルク・ムトゥ)
c)『ワイルド・サイド』(セバスチャン・リフシッツ)
a)朝の五時まで起きていたので、当然、寝坊してしまい、桜木町からタクシーを飛ばし(でも歩くのとあまり変わらなかった)開演時刻から二十分遅刻して入場。ただし予告編、舞台挨拶の時間から逆算すると上映が始まってすぐだったのではなかろうか。扉を開けた時には、イジルド・ル・ベスコがディスコでナンパされている場面だった。で、作品だが、ここ最近の低調ぶり(id:hj3s-kzu:20040527,id:hj3s-kzu:20040530)とは打って変わって素晴らしい出来である。ブノワ・ジャコーも根性を入れ替えたのだろうか。『はなればなれに』(ゴダール)のようなものを予想していたのだが、銀行強盗の描写は大胆に省略し、立てこもった銀行の中からル・ベスコの家に犯人である恋人から電話が掛かってくる。テレビの中継を見、いてもたってもいられなくなった彼女が地下鉄に乗って、警官隊に包囲されている現場まで行くが、中に入ることもできず、じっと指をくわえているだけ、というもっぱら彼女の視点からのみ同時進行で事件を描く手法は面白い。前半の十五分くらいでこれをあっさり処理し、残りの時間は逃亡犯たちと彼女の逃避行、さらには彼女が仲間とはなればなれになって以後(これが意外に長い)の描写に当てられるのも悪くない。
b)グローバリゼーションによって引き起こされる地方工場のリストラ問題を扱って、そこそこ高い評価を得ているフランス映画は近年、何本かあるが、これもそうした一本。グローバリゼーションを批判するのなら、それを扱う映画のフォルムも支配的なエクリチュールに対して批判的な距離を置くべきだと思うのだが、そうした視点はこの映画にはない。なのであまり評価できない。
c)今日はまず『いつか会える』を見るために桜木町に行き、そこから『ワーク・ハード、プレイ・ハード』を見るために飯田橋まで戻り、さらにこの作品を見たいがために再び桜木町まで行くという大変不経済なことをしたのだが(交通費もバカにならない)、その価値はある力作だった(見に行ってよかった)。性転換した街娼が死期の迫った老母を看病するために田園地帯の生家に恋人のロシア人と帰ってくる。彼らとパリで同棲していたアラブ人の若者もやがてそこにやってくる。こうして彼らの共同生活(性関係を伴う)が再開される。ロシア人はフランス語を話せず、英語を話すのだが、逆にそれ以外の者たちは英語を片言しか話せない。老母とロシア人、あるいはロシア人とアラブ人がそれぞれ身ぶり手ぶりを交えて何とか意思疎通しようとする長い固定画面が素晴らしい。