海の花

hj3s-kzu2004-08-04

a)『海の花』(ジョアン・セーザル・モンテイロ
a)二十世紀後半以後においてメロドラマは果して可能か。その問いに対して、ジョアン・セーザル・モンテイロはこの作品において、その可能性、あるいはほとんどそれと同義だが不可能性を、トッド・ヘインズやウォン・カーウァイらポスト・モダニストの懐古的な視線によってではなく、正面からその主題と取り組むことで答えている。ダグラス・サーク以後の映画史において、この試みに成功した映画作家は彼の他は増村保造マノエル・ド・オリヴェイラ、やや屈折した形だがダニエル・シュミットライナー・ヴェルナー・ファスビンダーくらいしか思い当たらない。美しい未亡人とテロリストのひと夏の仄かな愛。しかし彼らは数度のくちづけをかわすだけだ。夏の美しい静かな浜辺に彼女がひとり日ざしにさらされているところへ、沖から赤いゴムボートが漂着してくる。彼女が駆け寄ると額から血を流した半裸の男がぐったりとしていて、かすれた声で「水」と呟く。彼女は急いでボートを岸に寄せ、飲みかけのミネラルウォーターを男に飲ませる。空になったゴムボートの船底には拳銃が残されていて、それに蠅がとまっている。こうして二人は出会うのだが、だからといって彼らの距離がすぐに縮まるわけではなく、彼に衣服等(もちろんそれは亡き夫のものである)を持ってくるために一旦、彼女は車で家に帰る(車内の彼女を真横からとらえた長い固定画面の運動感と持続は素晴らしい)。家に着くと知人が訪ねて来ているので話し込んでしまい、結局、浜辺に戻るのは日暮れになってしまう。日没後の青く暗い浜辺をとらえたこのショットが実に美しいのだが、この時間的・空間的距離が、画家の夫をなくした後、自らを「死者」として異性に対して閉ざしてしまった彼女の隔たりと重ね合されていることを私たちはおぼろげながら徐々に感じ取ることになる。そして世界の果てで厳かに開かれた扉は、バッハの美しいソナタとともに再び静かに閉ざされることになるだろう。