ビッグ・リバー

a)『ビッグ・リバー』(舩橋淳)★
この作品は、映画を撮りたいと思っているシネフィルは必見の作品である。ただし反面教師として。これを見、そして考えることによって、これだけはやってはいけないという映画の倫理を逆説的に学ぶことができる。監督本人は「ただモニュメント・ヴァレーに行きたいだけの映画になってしまった」と謙遜して言っているようだが、この言葉を字義通りに受け取らなくてはならない。本当に「モニュメント・ヴァレーに行ってみました」というただそれだけの映画である。あなたはジョン・フォードから一体何を学んだのか、こう問いかけてみたい気がする。もちろんこの問いに含まれる固有名はヴェンダースジャームッシュに置き換え可能である。これらの映画作家たちにとって切実であったはずの問題、そしてそこから導き出されたスタイル。例えば1970年代のヴェンダースにとって「映画の死」というものは、危機感をともなったある肌触りのようなものとしてあったはずだ。そして、コミュニケーションの不可能性を前提としつつも、なおその上に関係性を構築することはいかにして可能か、といった主題も。したがって、この作品のようにその上澄みだけを掬いあげるべきではない。こうした世界観の底の浅さがこの作品の随所に顔をのぞかせている。実際にトレーラーハウスに住む老人はあんなふうに「アメリカ」を定義したりしないだろう(この台詞には本当に反吐がでる)。『二十四時間の情事』の台詞をもじって言うならこうだ。「あなたはアメリカで何も見なかった」。この作品の製作費がいくらかかったかしらないが、その半分でも今のヴェンダースにプレゼントしてあげられたら、どれだけ映画のためになるかしれないし、彼からの借りを返すことができたというものである。

b)『地中海の虎』(エドガー・G・ウルマー)★★★★