蓮實重彦とことん日本映画を語る vol.16

hj3s-kzu2006-10-07

本日のお題は「女性と金銭—溝口健二の系譜をたどる—」。まず蓮實重彦氏による前書きを以下に引用する。

日本映画における「女性と金銭」の主題は、「女性」と「金銭」との交換に立ち会う一組の男女ではなく、女性たちが同性の相手を「ねえさん」、「おかあさん」と呼ばねばならぬ疑似家族的な伝統の支配によって規定されている。その背後には当然男性が存在しはするが、それはあくまで不可視の領域にとどまる。この性的「権力」の間接性こそが真の「溝口」的な主題であり、それが日本の「女性映画」一般の構造を規定しているといってよい。男性中心社会の犠牲者としての「虐げられた女性」という抽象的なイメージだけでその「系譜」がたどれないのは、そうした理由による。「溝口」的な世界には、「ねえさん」、「おかあさん」と呼ばれるにふさわしい貫禄のある女優(浪花千栄子、栗島すみ子、岡田茉莉子)の存在が不可欠だが、そうした人材をたやすくは見出しがたい現在、「溝口健二の系譜」は消滅し始めているというべきかもしれない。

以下は私なりの要約である。
まず最も「溝口」的な世界から遠いものの例として、花街を舞台とした最近のアメリカ映画『SAYURI』(ロブ・マーシャル、2005)を見てみよう。ここで「おかあさん」を演じている桃井かおりはかなり健闘しているし、「ねえさん」役のコン・リーもなかなかのものなのだが、『シカゴ』などという駄作を撮ったこのアメリカ人には、「溝口」的な世界の金銭の流れの源にあるのが不可視の男性であるという視点が欠けている。「溝口」的な世界にあって「おかあさん」とはあくまで、この男性の後ろ楯によって金銭の管理をし、権力を保証されている存在なのだ。そもそもこのアメリカ人は女優のアップすらまともに撮れない。こうしたものは早く忘れていただきたい。
では実際に「溝口」的な世界にあって「おかあさん」はどのように表象されているか、それを『祇園囃子』(1953)を例に見てみよう。妹分の若尾文子パトロン河津清三郎に迫られ彼の唇を噛み切るという事件のあった後、茶屋の「おかあさん」の浪花千栄子木暮実千代が呼び出され、出入差留を申し渡される場面。『SAYURI』と比べてみて明らかに違うのは演出の冴えなのだが、ここで溝口はこの充実した場面をたった数ショットで構成している。ここでの会話で仄めかされているのは、浪花の背後にいる河津の存在であり、その代行者である彼女の権力は金銭の流通を管理する位置にあることから生じている。実際に花街を知らない観客にも、ここでの浪花の「おかあさん」ぶりはリアリティをもって受け止められる。こうした「溝口」的な世界の基本構造は他の日本の「女性映画」にも共通するものである。そうした例として次に『流れる』(成瀬巳喜男、1956)を見てみよう。かつての「ねえさん」で今は料理屋を経営している栗島すみ子に、世渡り下手な山田五十鈴は遠回しに昔別れた男と寝ることを命じられる。この作品の栗島すみ子は18年ぶりの映画出演だが、山田五十鈴に対してすら堂々とした存在感で「ねえさん」ぶりを発揮している。なお栗島はこの作品の23年前にも成瀬作品に出演している。その『夜ごとの夢』(1933)で、実際に芸者から女優に転身したという経歴をもつ彼女の媚態を堪能してもらいたい。さてこうした「溝口」的な世界を描いた近年の作品として『おもちゃ』(深作欣二、1999)がある。置屋の「おかあさん」である富司純子が自分の舞妓の水揚げの相談を「ねえさん」の岡田茉莉子と相談する場面。脚本の新藤兼人は頭では「溝口」的な世界を理解しているので、ここで先ほど指摘したこの世界の基本構造はきちんと踏まえられている。現在、こうした「おかあさん」、「ねえさん」を演じられる貫禄のある女優が払底していることはすでに述べたとおりだが、それとともにこうした「溝口」的な世界で主役を演じられる若い女優がいなくなっていることもまた事実である。テレビでは女優は育たない。
さて現在と同様、1930年代にも「おかあさん」、「ねえさん」を演じられる貫禄のある女優は不足していた。この時期に特徴的なことは、疑似家族的な伝統の支配から自立した女性像が描かれていることである。そしてしばしば彼女たちは、娼婦すれすれの「酌婦」という形象をとる。例えば、酌婦の山田五十鈴が敵軍の将校の夏川大二郎を誘惑する場面の彼女の艶やかな身のこなしが素晴らしい『マリアのお雪』(1935)。あるいは『東京の宿』(小津安二郎、1935)では、娘の治療費を稼ぐため岡田嘉子は酌婦に身を落とす。やはり岡田嘉子がバーの女給たちを引き連れて汽船で北方に向う『泣き濡れた春の女よ』(清水宏、1933)では、甲板上で大日方伝が落とした煙草を足先で蹴飛ばし、彼の気を引く彼女が鮮烈な印象を残す。『丹下左膳余話・百万両の壺』(山中貞雄、1935)の矢場の女(沢村国太郎を待つ深水藤子が素晴らしい)もそうしたヴァリエーションのひとつと考えることができる(この作品の脚本執筆中に寺院にこもっていた山中は、そこを訪れた遊女たちの姿を見て、矢場の女のイメージを思いついたという)。なお「酌婦」そのものを描いた映画はあまりない。『にごりえ』(今井正、1953)はその数少ない例である。とはいえこれが優れた作品だというわけではない。淡島千景山村聡を客引きする場面を見ても、個々のショットの収まりの悪さが目につく。
「遊廓」が描かれるようになったのは日本映画史においても比較的遅い。それ以前にすでに海外の優れた映画作家が、「遊廓」の世界を扱った傑作を撮っている。それが『ハラキリ』(フリッツ・ラング、1919)であり、『ヨシワラ』(マックス・オフュルス、1938)である。細部においては奇妙なところがあるにも拘わらず、どちらも傑作と呼ぶに相応しい作品である*1。ところで『荒野の女たち』(ジョン・フォード、1965)を初めとして偉大な映画作家たちの遺作というものは、その奇妙さによってしばしば人を戸惑わせる。溝口の遺作『赤線地帯』もそうした作品であり、その抒情から遠く離れた乾いたタッチが鮮烈な印象を与える。そのラストで醜く真っ白に白粉を塗りたくられた少女の川上康子が戸口から片目を出しておずおずと初めての客を引く場面にはある種の不気味ささえ感じられる。この場面で見事な客引きっぷりを見せるベテラン娼婦の京マチ子と並んで忘れがたいのが『洲崎パラダイス・赤信号』(川島雄三、1956)の新珠三千代である。乱れた雰囲気で橋の欄干にもたれ、通りがかった男を誘う演技は実に見事である。
では現代においてこうした「溝口」的な系譜はどこに見出せるだろうか。「溝口」的なものを目指すことなしに、それを継承してしまった映画、それが『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(ホウ・シャオシェン、1998)である。また彼の最新作『百年恋歌』(2005)にも「溝口」的な挿話が含まれているので必見である。
最後に「溝口」的な系譜とは無関係ながら、つい先だって急逝した田中登の傑作『実録・阿部定』(1975)から、宮下順子江角英明を殺した後、その場を後にする素晴らしい場面を見て、この優れた映画作家の追悼とし、今回の講演は締めくくられた。
(なお時間の都合で、『祇園の姉妹』(溝口健二、1936)と『赤線玉の井・ぬけられます』(神代辰巳)の抜粋は上映されなかったが、いずれも傑作である。)

*1:これらについてはid:hj3s-kzu:20050913とid:hj3s-kzu:20060316を参照のこと。