SAYURI

a)『終電で来た客たち』(ユ・ヒョンモク)★★★
b)『SAYURI』(ロブ・マーシャル)★★
b)京都を舞台に一人の芸者の半生を描いた作品であるにもかかわらず、メインとなる三人の芸者は、チャン・ツィイーミシェル・ヨーコン・リーといずれも中国系の女優によって演じられている。中国人も日本人も同じといったアメリカ人の誤った文化理解以上に私たちにとって深刻だと思われる事態は、もはや日本にはこの三人の女優に匹敵するレベルの女性スターが存在しないという厳然たる事実である。鈴木清順が『オペレッタ狸御殿』でオダギリジョーの相手役にチャン・ツィイーを選んだのも、べつに伊達や酔狂からではなく、こうした正確な歴史的認識に基づいている。世界的に通用する映画作家、男性スターならそれなりの数が存在する現代日本映画がやや華やかさを欠いているのも、こうした事態と無縁ではあるまい。この映画が私たちにとって教育的な効果を持ちうるとしたら、それはその場しのぎの国内消費を当て込んでアイドルやタレント程度で事足れりとしてきた日本映画界の怠慢を逆照射してくれるからである。しかしそんなことはすでに『2046』(ウォン・カーウァイ)を見れば明らかだったはずではなかったか(id:hj3s-kzu:20041028を参照)。若尾文子のような女性スターが何人も現れない限り「日本映画の再生」など儚い夢に過ぎない。なお監督のロブ・マーシャルはこの映画を撮る前に少なくとも『祇園の姉妹』、『祇園囃子』(溝口健二)、『女は二度生まれる』(川島雄三)あたりを見ておくべきだった。そうすればこのような凡作を撮らずに済んだはずなのだが。